豪華と言っては、言い過ぎだが、私にとっては大変贅沢な海外旅行をしたことがある。今日はその旅行の話である。
それは1993年9月、第21回国際心臓血管外科学会がポルトガルのリスボンで開催された時のことである。K大学教授K先生にプランを立てて頂き、K先生夫妻と私たち夫婦、それに添乗員の計5名の旅行であった。
私が“ 贅沢“というのは、4人の旅行に添乗員をつけたことである。普通15〜20人くらいのグループに添乗員1人が常識である。もし、ファーストクラスに乗っての旅行であれば、これは超豪華であったが、そこまでの金は無かったのでビジネスクラスでの旅行であった。
この旅行経路は、ロンドン — スペインのマジョルカ島 — マドリード(Madrid) — ポルトガルのリスボン(Lisbon英語、Lisboaリズボア)である。
ロンドン a. 個室でオーケストラを聴く b.バッキンガム宮殿の衛兵交代 c.宮殿の内部見学
話は先ずロンドンから始めよう。
私は英国のNational Heart HospitalのDr. Rossと私は仲の良い友人だったので、ヨーロッパで学会があると、足を延ばしてロンドンに行き、Dr. Rossの手術を見学させてもらった。このことについては、Dr. Rossの項で既にお話した。
東京からロンドンに着いたのは、午前であった。K教授は、その晩、オーケストラを聴くための時間に充てた。名前は失念したが、大きなコンサート・ホールの2階の個室で私たちはオーケストラを聞いた。少し変わった建物で、オーケストラが乗る大きな舞台の直ぐ下は、椅子が無く、前面半円形のホールで、その3分の1くらいに赤い絨毯が敷かれていた。聴衆は足を伸ばして座ったり、寝そべるような格好で聞いていた。絨毯敷きの半円形のホールの後ろ側は普通の椅子が整然と並んでいた。このような形式のホールを見たのは初めてで、それ以後見たことは無い。
私たちの個室は6畳くらいで、縦長で、中央に机があり、両側に椅子があった。無事にロンドンに到着したことを祝ってシャンパンで乾杯した。ジェットラグ(時差ボケ)にシャンパンが加わったのだから、夢見心地でオーケストラの演奏を聞くこととなった。ベートーベンのピアノ・コンチェルトの演奏者は、体を大きく左右に動かして演奏していた。体を右に傾けた時は倒れるのではないかと心配するほどのパホーマンスであった。
日本のコンサート・ホールには個室が無いので、休息時間にエントランスでシャンパンやビールを飲んだことはあるが、個室で演奏を聞きながらコンサート・ホールでのむシャンパンは大変美味だった。このホールの2階席は個室が10くらい並んでいた。
ウインザー城の火災とバッキンガム宮殿の見学
ウインザー城は居住者のいる城としては最大の城で、女王エリザベス2世の公邸の1つである。1070年にウイリアム1世が建てた城で、900年以上の歴史があり現在も使われており、城として最も古く、世界最大の城である。10.5ヘクタールに及ぶ敷地内にあり、東西に広がる美しい王室の居城である。豪華な王室と美しいゴシック洋式の壮麗な礼拝堂は歴史と共に変化しながら愛され続けている。それに迫力のある衛兵交代に人気がある。
このウインザー城に1992年11月火災が発生した。原因は女王・専用礼拝堂にあった高さ9メートルのカーテンが、押し付けられたスッポットライトにより火がついたことに端を発し9時間燃え続け、ほぼ消火されたが、完全に消火されたのはその3時間後であったという。全部で100室が火災の影響を受け、消火にあたった消防隊員は200人以上であった。火災で甚大な被害を受け、数年がかりで、当時の貨幣3650万ポンドで完全に修復されたという
バッキンガム宮殿を初めて有料で公開
ちょうど私たちがロンドンを訪れた年に、ウインザー城の火災の修復代金の補填のために、女王のもう1つの公邸であるバッキンガム宮殿が初めて有料で公開された。
(最近では、毎年、エリザベス女王がスコットランドに避暑に行かれている7〜8月にバッキンガム宮殿は有料で公開されているという)
バッキンガム宮殿が初めて有料公開されるという情報は、まだ東京にいる時に知ったので是非参観したいと計画に入れた。そこで、ロンドン滞在の2日目の午前中に衛兵交代式を見学した後、バッキンガム宮殿を参観するという欲張った予定をたてた。
バッキンガム宮殿の衛兵交代
衛兵交代は午前11時10分くらいに始まるので、私たちは約1時間前にバッキンガム宮殿の前に到着した。もう、かなり多勢の見物客が溢れていた。それでも、宮殿の中央門の右側に陣取ることができた。
衛兵交代とは宮殿を警護していたOld Guardsが次の任務を担当するNew Guardsと交代するセレモニーである。
Guardsの服装は、40センチメートルもある縦長の黒い熊皮の帽子を目が見えないのではないかと思うほど目深に冠り、深紅の上着、黒のズボン、短い剣をつけた小銃を持っている。3〜40名くらいの小隊の先頭中央の隊員は、深紅の女王旗を持っている。
かなり長時間の式であるが、これを要約すると、バッキンガム宮殿とセントジェイムス宮殿の2つの宮殿のNew GuardsとOld Guardsの新旧交代と任務の引き継ぎを同時に、バッキンガム宮殿の前庭で、盛大に行なうセレモニーである。
かなり以前、スエーデンの王宮の衛兵交代を見たが、10名くらいの兵士の交代で、服装は普通の兵士とほとんど同じで、簡単な儀式であった。
バッキンガム宮殿の衛兵交代は、初めから観客を意識した演出である。前述したように衛兵の服装が黒の熊皮の深い帽子、真紅の上着に黒のズボンなど華やかで見る者を喜ばせる。人数も200人くらいの大勢の兵士である。
かなり長い式だが、Guardsの隊長や隊員が、少し歩いて止まるときには、大きく右足を挙げて靴が音を立てるように2度足踏みをする動作や、30〜40人の小隊が大きな号令とともに隊列を変えたり、小隊が宮殿の中に入ったり、Old Guardsが正門から退出するのを見ていると結構面白かった。また、2つのバンドが別々に演奏するのも、競演の如く、白熱した感じで楽しかった。
添乗員には11時半ころ、バッキンガム宮殿の入場券を並んで賈ってもらうために、私たちより一足先に入場券売り場に行ってもらった。
バッキンガム宮殿の内部見学
衛兵の交代式を終ってすぐ、バッキンガム宮殿の内部見学の長い列に並んだ。ボデイ・チェックが厳しいと言われているので、夫人方はハンドバッグ1つ、男性は手ぶらであった。列は少しづつ前進した。2〜30分した時に添乗員は5枚の入場券を賈って来て、私たちの列に並んだ。
バッキンガム宮殿の沿革を簡単に述べてみよう。
バッキンガム宮殿は1703年にバッキンガム公ジョン・シェフィールドの邸宅として建てられた。1763年、ジョージ3世によって買い取られて以来王室の所有となる。1825年ジョージ4世の時代に改築が始まり、1837年ビクトリア女王即位以来、英国王の居城となり、バッキンガム宮殿と呼ばれるようになった。
現在、女王のofficeとロンドンの住居の2つの機能を持っている世界で数少ない王宮の1つである。
数十分並んで、5人は一緒に入場した。見学できるのは19室であった。印象に残った部屋を紹介しよう。[興味がなければ、マジョルカ島まで飛ばして読んで下さい。]
* ステートルーム:実際にロイヤルファミリーが賓客を迎える広間で、壁面にはレンブラントやルーベンス、バンダイクなど一流画家による大きな絵画が壁面に飾られ、セーブルの磁器やカノーヴァの彫刻が飾られている。
* スロン・ルーム:真紅の壁で縦の柱は白、朱色の絨毯で、ロイヤルウエヂングの集合写真が撮影される部屋。60年前のエリザベス女王の戴冠式の記念写真もここで撮影されたという。
* ホワイト ドローイング・ルーム:白い壁と白の柱、中央には大きいシャンデリア、部屋の内部にはいくつかのシャンデリアが並ぶ。この部屋は、女王とロイヤルファミリーが公式行事の前に集まる部屋で、“最も美しい部屋”といわれている。
* バンケット・ルーム:白い壁に大きな絵画が埋め込まれている。100人あるいはそれ以上の人の晩餐会が開かれる。その時のメニューや食器類も披露されている。
* ピクチャー・ギャラリー、ミュジック・ルームなどがある。
世界でも最高級の英国やフランスの家具などロイヤルコレクションを見ることが出来る。
広めの階段は白の建具に黒の手すり、赤色の絨毯であった。
見学者が手で触りそうな柱などは、厚いポリエチレンの透明な板でガードされていた。
外観はかなり大きい建物である。中に入ると、大英帝国が昔いかに繁栄したかを物語る装飾品などが飾られている。
約2時間かけてゆっくり見学した。
最近の情報では、宮殿を見学した後、大庭園を散策することができ、庭園内のGarden Caféで優雅にアフタヌーンテイを楽しむことができるというが、私たちの行った時は、初回公開だったためか、大庭園を散策することはできなかった。
この日は、午前と午後、2つの大きなイベントに参加したので、充実した1日ではあったが、さすがに、かなり疲れた。
翌日は大英博物や市内の名所を見学し、その翌日の午前中にスペインのマジョルカ島に向かった。