第56話 —Francis Fontan教授— 【part5】

フォンタン教授の自宅での歓迎レセプション

私たち12人(心臓外科医6名、医科器械メーカーの社長或は専務6名)は、2日目の20時にフォンタン教授の自宅に招かれた。私たちの到着前に、フォンタン教授の医局員夫妻6人も招かれており、M添乗員を含めて賑やかな宴会となった。
料理は前回と同じくカモの料理と、ボルドーワインであった。3人の可愛いフォンタンのお子さん達も同席し、楽しい夕食会であった。


フォンタン教授邸での晩餐会

会食後、広い応接室で適当なグループに別れて懇談した。私は中型と小型のカメラを旅行に持って行ったが、小型の方が使い易かったので、もっぱら小型カメラを使った。私のこの小型カメラと全く同じ小型カメラを医科器械メーカーのM社長も持っていた。
応接室で小型カメラでパチパチ写真を撮っていると、3人の子供達が興味を示し、私の所に集まって来た。可愛かったのでカメラの使い方を教えて、自由に撮らせた。彼らは喜んであちこちで撮影していた。余りにも喜んでいるので、彼らに小型カメラを進呈することにした。添乗員のM嬢に頼んでフランス語で「このカメラを皆さんに進呈します。大切に使って下さいね」と伝えてもらった。子供達は喜んでフォンタン夫妻に報告していた。

フォンタン教授のお嬢さんと息子さんたち。

午後11時近くなったので、お礼を言って私たちはホテルに帰り、翌朝次の目的地に向かった。 大歓迎され、また、勉強にもなった2日間であった。

俺は“ぼけた”のだろうか?

東京に帰ってから10日くらい立ったある日である。アテネの学会とボルドー大学に一緒に旅行した医科器械メーカーのM社長が浮かぬ顔をして私の教授室に入って来た。そんな浮かぬ顔をしてどうしたのですか?と私は質問した。彼は「どうも最近“ぼけた“らしいのです。いつも家内に”あなたは、最近、ぼけたわね”と何度も言われました」という。
私はその原因を聞いてみた。M社長は「先生も持っていたあの小型カメラで撮った外国旅行の写真を写真屋で焼いてもらいました。外国で撮った写真はほとんど覚えているのですが、最初のフイルムの日本出発前に撮った10枚の写真を全く覚えがないのです。妻は「“自分のカメラで、自分で撮った写真”を覚えていないなんて、あなたは“ぼけたのよ”」と言うのです。自分でもだんだん“ぼけてきた”ような感じがしてきました。と言ってうなだれた。
私はその10枚の写真はどんな写真ですか?と質問した。
彼は「大きくはないが立派なお寺の山門や、釣り堀などが写っていますが、私の全く覚えの無いお寺や釣り堀です。自分の写真機で自分で撮ったのに覚えていないなんて、確かに私はボケたのですね。」と言って下を向いた。
私は直ぐ気がついた。その写真の風景なら、外国出発前に私が訪れた長野の佐久の風景である。そうすると私がフォンタン教授の子供達に進呈した小型カメラはMさんの写真機で、現在Mさんの持っている小型カメラは私のものである。いつどこで、どうして取り違えたのか、全く分からないが写真の風景から考えて取り違えたことに間違いはない。
そこで私は以上のことをM社長に話した。うつむいていたM社長はだんだん生気を取り戻して、「先生が佐久で撮った写真なら私が覚えていないのは当たり前ですね。私が“ぼけた”のではありませんね。妻によく言い聞かせます。」とボケ問答はこれで終わりとなり、M社長は明るい顔で帰って行った。

フォンタン手術の発展

ここからは、専門的な話なので、興味のない人はここで終了して下さい

その後、フォンタン手術は何人もの外科医により改良が加えられた。

(1)Kreutzer(1973)は、“下大静脈にはヒト生体弁を縫着せず、”心房中隔欠損を縫合閉鎖した後、右心房と肺動脈をヒト生体弁を用いてバイパスする簡略化に成功した。
(2)Yacou(1978)は、手術対象を拡大し、単心室(左と右心室を境する心室中隔が生まれつき欠損していて、心室が1つの症例)に対し、valved conduit( 生体弁つき導管)を用い右心房から肺動脈へのバイパス手術に成功した。
(3)Puga(1987)は三尖弁閉鎖症と単心室に対し、上大静脈の上部切断端と上大静脈の下部切断端をそれぞれ肺動脈に吻合する方法を開発し、modifiecation of Fontan operation或はTotal cavopulmonary connection(TCPCと略す)という名前で報告している。TCPCについてはde Leval(1988)も報告している。
(4)Lateral tunnel (側方トンネル或は側方導管):上大静脈切断端は肺動脈に直接吻合する。下大静脈は右心房との接合部で切断し、下部下大静脈の切断端と肺動脈の間に、Gore-Texなどの人工血管あるいはヒトの保存血管でlateral tunnel(側方トンネル、或るは側方導管)を作り、tunnelの上端を肺動脈に吻合する。

単心室に対するlateral tunnel (側方導管或はトンネルが心臓の側方を通るのでこの名前がついている。)ヒト生体弁はどこにも使用されていない。
AO : 大動脈  RPA : 右肺動脈  LPA : 左肺動脈  RPV: 右肺静脈
LPV : 左肺静脈   SVC : 上大静脈  IVC :下大静脈  Vent : 心室

フォンタン教授が、右心室が無くとも血液は循環するというFontan Operationを開発したお陰で、対象心疾患は三尖弁閉鎖だけでなく、単心室にも拡大された。又、ヒト生体弁を使用しなくても良い改良法が次々と発表され、患児には大きな福音となった。フォンタン教授は偉大な功績を残されたと、私は思っている。

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”お詫び”    
第53話 Fotan教授 part2 に「ハイデルベルクの海の一番美しく見える霊園の階段に座って、一組の恋人が 
” 恋と将来の夢を語り合った”」 と書きましたが、ハイデルベルグはドイツの内陸部にあり、『海』は
全く見えません。私の記憶違いでしたので訂正しお詫びいたします。
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