第13話 ジャカルタの休日 海難事故との遭遇【part2】

【急変した”ジャカルタの休日” 】

 と、突然、子供たちの楽しそうな歓声が止んで、ざわめきが起こった。私は何事かと思い、デッキチェアから立ち上がった。大勢の人の指差す方向を見ると、2~300メートル先の砕ける白波のそばで、1mくらいの丸太のようなものが浮きつ、沈みつ波に翻弄されている。よく見るとそれは人間で、手も足も全く動かさないで波に翻弄されている。その時、いち早くホテルで雇っている数人の青年の中から2人のインドネシア人の救急隊員が空気の充満した大きくて太いダンプカーのタイヤを持って助けに向かった。波の勢いが強く救急隊員もなかなか到達できない。ようやく溺れている人(国籍不明だがYさんとしよう)に近づいたと思うと、波の勢いに負けて押し戻され、近づいたり遠ざかったりを何度も、何度も繰り返しているうちに、ようやくYさんをタイヤに乗せることができた。と、同時に電動式ウインチでタイヤに結びつけてあるロープを引っ張った。波の力が強く、岸に着くまで15分くらいかかった。Yさんは、すぐ担架に乗せられて、ほかの2、3人の救急隊員によってホテルの方に運ばれた。救助に行った2人の隊員は、激流で多量の海水を飲んでいたので、ほかの隊員に胸や腹部を強く圧迫されて、嘔吐するように海水を掃き出していた。

 私は、聴診器も薬も注射液も医療機器は何一つ持っていないので、どうしようかと一瞬、躊躇した。その時、支配人夫人が大声を出しながら裸足で飛んで来た。遠くで「先生!うちのホテルに宿泊している人です。助けに来て下さい!!」と金切り声で叫ぶのが聞こえて来た。そこで、私も裸足で、駆け足で飛んで行った。Yさんは医務室の6、70cmとやや高い診察台に寝かされるところであった。医務室とは名ばかりで薬も医療器具も何一つ無かった。Yさんは呼吸停止の状態で、体は冷たく、全身がブドウの巨峰色のチアノーゼで、インドネシア人か、中国人か、日本人かの区別もつかなかった。

【心肺停止?

 早速、橈骨(とうこつ)動脈を触診したが脈は全く触れない。肘動脈でも股動脈でも脈は全く触れない。心臓部に耳をあてても心音を聞いたが全く聞こえなかった。私は“心肺停止状態”だと思った。しかし、頸動脈を触診すると、かすかに、かすかに脈が触れた。1分間に10拍動くらいの超徐脈である。一般の人なら触知できない脈の強さであった。超微弱で超徐脈だが、心臓は動いていると私は思った。そこで、すぐ心臓マッサージと人工呼吸を開始した。私はFさんの左側に立って両腕を90度に曲げ、曲げた肘をFさんの心臓部にあて、私の上半身の体重を肘から腕にかけるように、上半身の屈折運動をした。こうすると、心臓部と胸部の圧迫と弛緩が繰り返され、心臓マッサージと人工呼吸を同時に行うことができる。

 この方法は、次のようなアクシデントの時に私が行なった方法である。虫垂炎の手術は腰椎麻酔によって腹部の麻酔を目的とするが、私の若いころは麻酔薬の生成不良のためか腹部から胸部まで麻酔が及び、呼吸が抑制されることがしばしばであった。手術台の高さは70~80cmあり、通常の馬乗りになって行なう人工呼吸はできないので、上記のように、曲げた腕を心臓部と左胸部にあてて、上半身の屈折運動をする方法を私は考案した。ホテルの医務室の診察台が70cmくらいの高さだったのが幸いし、この方法を行なうことが出来た。馬乗りで行なう方法だと、10分か15分もすると疲れきってしまうが、私の方法だと30分くらいは行なうことができる。

 私は、この方法でマッサージを続けた。しかし、20分経っても、30分経っても著明な変化は全くない。やや巨峰色のチアノーゼが薄くなる程度である。私は疲れたので、2、3分ホテルのスタッフに代わってもらった。そうすると、また真っ黒なチアノーゼに逆戻りしてしまった。そこで、また私が代わってマッサージをするとチアノーゼは少し軽くなった。名ばかりの医務室であったが、冷房が効いていたので、ジャカルタ大学の手術室の如く、汗はかかなかった。このため、長時間マッサージを続けることができた。

 4、50分くらい過ぎたころだろうか。慌ただしく1人の日本人が駆け込んで来た。彼は泣き声で「私はA産業のインドネシア駐在員です。この人は昨日、東京から視察に来た私の上司です。こんなことになったしまって、私はどうしたらよいでしょう」と言って、涙をぬぐった。

 この時、初めて海難事故の人が日本人であることが分かった。

【息を吹き返す

 それから30分以上マッサージを続けた。私の体力は、そろそろ限界に近づいていた。マッサージをはじめてからもう1時間半以上になる。

と、突然、Yさんは深呼吸のように大きく息を吸い込んだ。この一息で真っ黒だったチアノーゼがスーと一気に引いて、黄色の日本人の肌色になった。成り行きを見守っていた数人のホテルのスタッフから歓声と拍手が起こった。そして、弱い呼吸が続いた。その呼吸に合わせて私は両胸を圧迫し、弛緩させて、呼吸の補助をした。Fさんの呼吸と脈は次第に強くなり、30分すると意識が回復し、名前とA産業の社員であることを明瞭な言葉で話をした。

 息を吹き替えしたメカニズムはよく分からないが、海水温20〜25度Cくらいの海の中を長い時間漂流していたため、全身が20度くらいの低体温状態になり、基礎代謝が著明に低下していたであろう。そのため、心臓マッサージと人工呼吸によって、わずかに酸素の多くなった動脈血が、微弱ではあるが心拍動によって脳、心臓その他の主要臓器を環流し、生存に導いたと考えられる。もし、人工呼吸を始めるのが、10分遅ければ心臓の動きは完全に停止していたたであろう。

 それから、30分間医務室で様子をみてから、私はA産業の同僚に注意点を話してからホテルの自室に帰した。1時間後に彼の自室を私は訪問した。Yさんの回復は早かった。夕刻には自立歩行ができ、軽い夕食を食べた。それから2日後に日本に帰ったという。

 私は生死をさまような、重症な心臓病の患者さんの手術をしている。その患者さんが軽快退院する時、手術が成功してよかったと思う時はあるが、人を助けたという実感は1度もなかった。

 しかし、Fさんが息を吹き返した時は、“人の命を助けた!!”という思いが私の頭をよぎった。