【後日談】
それから1年が経過した。知らない女性から達筆な文字の封書が届いた。『今日は本来なら、私の息子Fの命日でございます』という書き出しで、インドネシアでの出来事のお礼と、息子に対する愛情をしたためた母親からの手紙であった。その手紙は数年続いて、ぱったり来なくなった。
それから10年が過ぎた。私の義兄がニューヨークで商談の後に3、4人のI商事の社員と会食をした。雑談の時に1人の社員が「私はインドネシアで溺死寸前のところを助けられました」と話し出した。義兄は「それは私の義弟ですよ」と言うと、その人はびっくり仰天したという。そのころ、A産業は倒産し、I商事に吸収合併されていた。この人はA産業からI商事に移って働いていたFさんであった。
しかし、不思議なことだがFさんから私への連絡は1度もない。
【溺死からの生還者】
溺死から生還し、心臓外科に関係した事例は東北大学と札幌医大にある。
1)東北大学の事例 : ある冬の寒い夜、上棟式の振る舞い酒に酔った大工が河に落ち、明け方心肺停止の状態で発見された。誰もが到底助からないと思ったが、東北大学の渡部先生と岡村先生の努力で奇跡的に蘇生した。これが、きっかけとなって、東北大学では超低体温法(体温を20度Cくらいに冷やして手術をする)の実験が始まり、臨床に応用された。この超低体温法は世界的に認められた優れた業績である。
2)札幌医大の事例 : 和田心臓移植のドナーが溺死からの生還者と考えられる。この事例は「“凍れる心臓”共同通信社」に極めて詳細に記載されているのでご参考にしていただきたい。
私の例は医学的には何の貢献もしていないが、“徒手空拳”注)で海難事故に立ち向かった、私の武勇伝(?)であり、私には忘れられない体験である。
注)徒手空拳とは「手に何も持たないこと。自分の身一つだけで頼むべき者のないこと」日本国語大辞典
参考文献
1)新井達太:徒手空拳、 MEDICAL DIGEST、Vol.51 、2002
2) 堀内藤吾:わが歩み、 東北大学胸部外科教室・同門会誌、第4号、昭和59年
3)共同通信社社会部・移植取材班、凍れる心臓、共同通信社、1998