第19話 狼藉者はXX蜂 【part2】

Ⅱ) 狼藉者はXX蜂

 「今回は、大分で一番おいしい料亭に案内するから、奥さん同伴でいらっしゃい」とS先生のお招きを頂き、私たち夫婦は喜んで大分に出かけた。

 「今日は私も少し酒が飲みたいので、タクシーで行きましょう」とS先生夫妻と私たち夫妻4人で別府湾を回って料亭に向かった。その日は天候もよく、晴れ渡り、風もなく、きらきらと輝くような波の海と対岸の風景を眺めながらの、楽しいドライブであった。

 1時間くらいの後、車は立派な門がまえの料亭に入った。車回しの中央には数本の高い樹木と低い樹木が円形にきれいに植えられ、その周りを円周に取り巻く石畳の通路を半周して車は玄関に着いた。玄関も地方都市(例えば金沢など)で保存されている、大名屋敷の玄関のように立派であった。玄関の敷石は大理石で、内玄関から廊下を通り、階段を登り、2階の3つの部屋が開け放された大広間に案内された。3つの部屋を貸し切りで、広々とした雰囲気で4人だけで食事を楽しむことなど、東京では考えられない贅沢であった。

 女将の説明によると、この屋敷は祖父が金山で巨額の富を築き、3千数百坪の土地を購入し、別荘として建てた建物で、この大広間は15畳、15畳、18畳に分かれている。大広間の天井は桐板で、3つの広間境の欄間は1枚板を彫り込んだものだという。床の間の組子は大正初期の優れた職人の作である。掛け軸、ふすま絵、扁額などの説明をして頂いた。特に私が興味を引いたのは、 『國本』 と大書した伊藤博文の扁額と、馬上金山全景・四曲一双の屏風絵であった。屏風絵は和田三造画伯(註)が下絵を描き、祖父である金山主の奥さんが刺繍した絵だと言う。特に注目したのは向かって左から2枚目の絵で、金山の製錬所とその上方に建てられた2本の高い煙突から黒い煙が尾を引くように棚引いている。これが、刺繍だというので私は暫し見とれた。天井の電灯のシャンデリアは大正ロマンを思わせるものだった。

 この広大な庭園は、高崎山を築山に、別府湾を泉水に見立てた借景の庭園で、在来からあった老松や樹齢数百年の樹木のほか、県内外から集めた楓、山桃、松、楠などの古木、名木が植え込まれているという。

(註)和田三造画伯:帝国美術会(現・日本芸術院)会員、東京美術大学教授。日本国立美術館所蔵の油彩画 『南風』 1907(明治40年)は國の重要文化財に指定されている。木造船の上の3人の男を描いた作品で、中央に赤い腰巻きを着けて立つ男のたくましい筋肉が印象的である。

 女将は室内の説明を終ると、大広間の海に面した部屋に4人のためにしつらえたテーブルに案内してくれた。また、小さな椅子を持って来て、少し離れと所に自分も座った。そして、私たち男性陣に酒をお酌してくれた。前菜などの後に、待望の城下かれいのさしみを、女中さんが運んで来た。

 S先生は「ここの城下かれいは特上です。楽しみながら賞味して下さい」と勧めてくれた。

ふぐの刺身に似ているが、ふぐよりも少し厚めに切ってあり、透明で表面が少し輝いていた。特製のたれにつけて食べると、ふぐよりもシコシコした感じで、実に美味であった。 

 その時の様子を私の妻は次のように書いている。

『待望の刺身をみて、“あっ、これがーーーーー”と一瞬、感激してしまった。

 薄くそがれた、ひきしまった白い刺身の下の大皿の美しい模様が透き通って見えるではないか。蝶の羽のように優しく軽やかな・・・。ふと嬉しい溜息が出る。一見、ふぐの刺身に似ている。口に入れると、ふぐよりもコリコリして歯ごたえがある。刺身には目のない私は、この上品な味と、程よい口触りに、もう夢中になっていた。

 「なにかの本で読んだ城下かれい!」やっぱり魚も育ちがいいと、こういう味がするのだなあと思った。

 その折、平目と鰈の違いは、目の位置だったろうかなどと、つまらぬことが頭をかすめた。教授に「いかがですか?」と声をかけられた。私は、この刺身が本当においしいことを伝えようと「この平目は・・・」

「ああ勿体ない。平目じゃないですよ。これは鰈。城下かれいです。ははは・・・」

 教授は珍しい貴重な城下かれいをご馳走するために、わざわざ私たちを招いて下さったのだ。私は迂闊だったと、恐縮した。

 しかし、戦前ハワイで開業医だった父のもとで過ごされた教授は、身も心もおおらかなお人。次の瞬間には、もうそんなことにはこだわっていない。そこがこの方の魅力でもある。だから十数年来、心を割ったおつき合いが続いている。

 「辛口の地酒がよく合いますね」などと男性陣は盃を重ねている。』

 女将さんは自分の座っていた椅子をテーブルに少し近づけて、私たちの話の輪の中に入って来た。女将の話の中で印象深いエピソードを一つご紹介しよう。次は女将の話である。

 『もう1、2年前のことになりますが、宮内庁からお電話を頂きました。その電話は、皇太子さまと美智子さまがO月O日に大分に行かれます。その日にお宅の料亭で昼食を召し上がりたいという仰せなのでお引き受け願いたい、という趣旨でございました。私は少し考えてから、 “ご辞退” 申し上げました。それは、この町にも何軒かの城下かれい専門の料亭がございます。どの料亭も皇太子さまと美智子さまのお越しを待ち望んでおられます。私の料亭には、もう2度お越し頂きました。3度もお越し頂くと他の料亭が羨ましがり、さらに嫉妬されてはいけないと思ったからです」と一息ついた。

 「ところが、2、3日のちに、宮内庁から再度お電話を頂きました。要旨は、ご辞退の件を皇太子さまに申し上げましたところ、是非お宅でと強く要望されておられます。たってのご希望ですので是非お引き受け頂きたいとのことでした。ここまで申して頂いては畏れ多いとお引き受けさせて頂きました。」

 「O月O日にご来駕頂きまして、海の見える大広間の奥座敷で、お付きの方々を人払いされて、お二人で食事を楽しまれました。美智子さまも日本酒がお好きで、皇太子さまとともに、少したしなまれておられました。私は次の間に控えておりました。」

 「その時です。一匹の狼藉者が乱入し、ブーン・ブーンと部屋の中を飛び回るのです。皇太子さま達がお食事を楽しんで居られるのに、ハエたたきやほうきで追い払うこともできません。

 あろうことか、その狼藉者は皇太子さまの箸を持たれた右手に止まってしまい、じっと動かないのです。この狼藉者を私は、てっきり “ハエ” だと思いました。昔だったら “打ち首”ものだと背筋がぞくぞくし、血の気の引くのが分かりました」と言って、右手を開いて手指をのばしてそろえ、 “手刀” のように小指側を首に押し当てた。首を切られる仕草である。

 「皇太子さまはジッと観察されておられました。ほんの数分と思いますが、私には大変、大変長い時間で、“あんなに入念に庭も、特に大広間を掃除したのに、どうしてハエが入って来たのだろう? やはり宮内庁からお電話を頂いた時お断りすべきだった!”などなど、いろいろなことが頭をよぎりました。

 その時です。

 皇太子さまが  “ああ、これはXX蜂ですね”  と言われました。

 腰が抜けるほどびっくりするという言葉がありますが、この時は、 “ハエでなく、蜂でよかった” と、腰が抜けるほどホットいたしました。

 大変珍しい蜂だそうで、それを見分けられた皇太子さまの博学には頭が下がりました』

と女将は言って、ニッコリして私たちを見回した。私もホットした感じであった。

 S先生は大分医大の副学長をされた後、定年となり、実家の長崎に引き上げられた。そして10数年前に病気で亡くなられた。私は日帰りで、長崎でのS先生の立派な葬儀に参列した。

 時々、私はS先生のことを思い出す。思い出は、あまたあるが、あの悠揚迫らぬお人柄、フェノキシベンザミン、城下かれい、そして、特に印象深いのは “狼藉者はXX蜂” というエピソードである。

(了)

 

 付記:女将さんは、多分、あの蜂の正確な名称を話してくれたと思うが、私はその名前を失念してしまった。そのためXX蜂とした。

 

 文献:1、いずれもウイキペデイア。あるいはインターネット上の文献による。

    2、新井瑛子  心の音  美しき哉 城下鰈  p22〜25,2018