第41話  — 東京GのM社長との出会い。M社長の私的勉強会“K,T会”に参加して — 【part1】

お見舞い依頼の電話

私が女子医大心研に勤めていた1968年のある日のことである。M商事に勤めている友人のN君から電話があった。

彼は旧制熊谷中学の陸上部の後輩で、M商事に就職後暫くして、8年くらいM商事フランス支店に勤務していたが,現在は本社務めである。

私が初めてパリーを訪れた時、大変お世話になった。その時、ムーランルージュに連れて行ってもらった。玄関を入って指定席に着くまで、ほんの数分なのに、何人もの従業員から「ムッシュウM ! ムッシュウM !」と声を掛けられていた。彼は人気者のようであった。日本から来たVIPを時々案内して従業員らと会う機会が多かったためであろう。

その電話でN君は「新井さん。今日は頼みがあって電話をしました。東京GのM社長の長男O君が、心研(女子医大心臓血圧研究所の略)の特等室105号室に入院しています。忙しいところご迷惑かと思いますが、1度お見舞いに行って頂きたいのですが・・・。東京Gは私の大切なお客さんです。」私はすぐ引き受けた。彼は言葉を続けて「お見舞いに行かれた時、もし家族の方がおられたら、M商事のNの依頼で来ましたとお伝え下さい。」

私は、私室から105号のある病室に行き、カルテでO君の病状を十分確かめてからお見舞いに行った。ちょうどO君の母親が付き添っていた。私はO君とは関係のない立場だったので、まず私の身分(心研の外科教授)を明らかにし、母親の許可をえてからO君の診察をした。

その後、病状を説明した。「もう,病状はお聞きのことと思ますが、心臓の左心室と右心室を隔てる心室中隔に、生まれつき小さい穴が空いています。手術の必要はありません。自然に閉鎖することが多いのですが、この穴が空いていると,稀なことですが、細菌性心内膜炎といって黴菌が心臓に入り込んで悪いことをすることがあります。高熱がでたら直ぐ病院に来て下さい。早く治療をすれば大丈夫ですが、長く放置しておくと命取りになることがあります。

数年前のことですが、高熱が出たのに1ヶ月以上たってから来院した小学生の患者さんがいました。この方は手遅れで亡くなられました。この点十分ご注意下さい。」そして「私がお見舞いに伺ったのは、M商事のN君から電話を頂いたからです。」と付け加えた。母親は私のお見舞いを大変喜んでくれた。またNさんにも感謝しており、よろしくお伝え下さいと言っていた。

約2時間後に友人のN君からまた電話があった。「新井さん、ほんとうにありがとうございました。M社長から直接お礼の電話を頂きました。これは異例中の異例のことで、私への直接の電話は初めてです。いつもは秘書課長、よくて専務です。社長が言うには「新井先生は心研で大変評判がよく、患者さん達は先生の診察や手術を希望しても、なかなか診てもらえないと言われているようです。その新井先生にわざわざお見舞いに来て頂き家内は感激しています。そして新井さんに診察を依頼した私が、社長に感謝されてしまいました。ありがとうございました。これでわたしの面目も立ちました。」といってM君は電話を切った。

M社長の私的な勉強会・K.T会

それから半年がたったある日、友人のM大学経済学部教授のY 君が拙宅に遊びに来た。何かの話をしているうちに、彼は東京GのM社長の話を始めた。その話の終った後で私は、半年前に友人に頼まれて心研に入院していたM社長の長男O君をお見舞いに行った話をした。Y君は急に興味をしめして「その時、どなたか家族とお会いになりましたか?その話はM社長に通じていますか?」と質問してきた。

そこでO君の母親に会ったこと、依頼してきた友人のところにM社長が直接お礼の電話を下さったことを話した。Y君は「年に2、3回ですが、私と私の友人で、文科系の3人の学者をM社長が招いて下さってK.T会という勉強会を開いています。

社長の許可が頂けたら新井君もその勉強会に出席しませんか。とても広い勉強になると思います。善は急だ!すぐ社長に電話しましょう。」とM社長に電話をした。

「社長も喜んで、新井先生にもK.T会に入って頂きましょう」と心よい返事でしたと彼は私に話した。

2、3ヶ月後、指定された築地の料亭K.Tに赴き、K.T会に出席した。20畳くらいの部屋の中央に大きなテーブルがあり、その左側に、K大学教授・K , T大学教授で評論家・M , T工大教授・ H、それに前述のYの諸氏と、その右側に東京GのM社長、副社長、専務などが相対して坐っており、全員で10名ほどの会であった。

まず、M社長に対してご進講のような形式で、当番の教授が4、50分間、話題提供をし、続いて討論というか、話し合いが始まった。20分くらいは提供された話題が中心になるが、その後はこの話題から離れて、その時、その時のトピックになっている世界あるいは日本の経済や政治の話に発展する。一流の学者だけあってよく勉強していた。最近発売されたアメリカの雑誌や今週のウイークリーなどの話もでる。

驚いたのはM社長がこの学者達を向こうに回して、丁々発止と討論することであった。学者たちも耳を傾け、同調し、あるいは反論していた。大企業の社長ともなると、こんなにも勉強しているのかと驚嘆するほどであった。医学それも心臓外科という狭い領域の、それもその一部しか知らない私には目が覚めるような勉強会であった。

私が発言するチャンスなど一度もないが、聞いているだけで勉強になり、少し知識が豊富になったような気がした。この討論が2時間か2時間半続き、夕食となる。夕食中も討論の余韻が残って延々と議論が続く。

料理は日本の一流の割烹料亭だけあって、美味、珍味がつぎつぎと出される。

しかし、歌舞音曲は入らない純粋な勉強会であった。

このK.T会に数度出席しているうちに,私も30分の話題提供をすることになった。私は心臓外科の最近の話題をスライドを使い、CDで動画を用いて話をした。医学に詳しい学者もいて、先週のアメリカのウイークリーの医学欄にはこういうことが載っていたなど,私など顔負けの最近知識を話す人もいた。