第45話  —Viking Olov Bjoerk教授— 【part2】

日光金谷ホテルで昼食

華厳の滝から日光の駅の方に戻り、日光金谷ホテルで昼食をとることにした。このホテルは明治64年(1873)の創業で、日本で最も古いホテルの1つである。特に洋食(日本式)がおいしいと定評がある。

ホテルに行く前に調べてみた。

日光虹鱒のバタ焼き。那須三軒豚のソテイ。大正コロッケ・トマトソースかけ。ビーフシチュー。帆立貝のソテイ。ウニ入りクリームスープ。

子牛ヒレ肉のソテイー洋茸クリーム・ホアグラ添え。  

日光高原の牛肉のカツレツとトマトスープなどであった。

各自好きなアラカルトの一品を注文した。

日光東照宮

いよいよ東照宮の見学である。Prof.Bjoerkの母堂は80歳くらいと思われるが、健脚で、杖もなく私たちと一緒に長いなだらかな坂道を、ゆっくり登った。

東照宮の歴史を見ると、元和2年(1616)が、徳川家康が駿府(現在の静岡)で死去した。遺命により遺骸は直ちに駿河の国・久能山に葬られ、同年中に久能山東照宮の完成を見た。翌・元和3年(1617)に下野国日光に改葬されることとなった。

日光では同年4月に社殿が完成し、朝廷から東照大権現の神号と正一位の位階の追贈を受け、4月8日奥の院廟塔に改葬され家康死去の一周忌に遷座祭りが行なわれた。

寛永11年、第3代将軍・徳川家光が日光社参し、寛永13年寛永の大規模改築が行なわれ、荘厳な社殿への大規模改築が行なわれた。

明治元年(1869))の神仏分離により、日光では神社の東照宮・二荒山神社と寺院の輪王寺の二社一寺の形式に分立した。

猿の絵の描かれている神厩舎は山門を入り、左に曲がりすぐの場所にある。猿は馬を守る動物であるという伝承から、猿の彫刻を施した8枚の浮き彫り画面が神厩舎の壁面高く飾られっている。この8枚で猿の一生が描かれており、人間の平和な一生の過ごし方を説いているという。

「見ざる、言わざる、聞かざる」の3匹の猿は有名で「幼少時には悪事を見ない、言わない、聞かない方がいい」という教えで、転じて「自分に不都合な事は、見ない、言わない、聞かない方がいい」という教えにもなるという。

Prof.Bjoerkは分厚い英文の案内書で、夫人と母堂に大きな声で、読んで、分かり易く解説していた。

奥の院に入る山門に、左甚五郎作と言われている「眠り猫」の浮き彫り彫刻がある。猫をよく見ると踏ん張っていることから、実は家康を守るために寝ていると見せ掛け、いつでも飛びかかれる姿勢をしていると言われている。

山門をくぐって、振り返って見上げると、眠り猫の裏側には舞っている数羽の雀の浮き彫り彫刻がある。これは、裏で雀が舞って、さえずっていても、徳川時代は「猫が眠れるほどの平和」な世の中である、というのがもう1つの教えであるという。

Prf.Bjoerkは奥さんたちの質問にも、案内書を見ながら丁寧に説明していた。

表門から参道を進み、石段を2つ上がった先に「陽明門」は南に面して建っている。門の左右は袖塀を介して東西回廊につながる。一日見ていても飽きないことから「日暮御門」とも称されている。

陽明門は他の社殿と同じ、寛永13年(1636)の造替である。建築形式は三間一戸楼門で規模は間口約7メートル、奥行き約4メートル、棟までの高さ約11メートルである。陽明門には彫刻が508体あるという。

東照宮全体の彫刻は5173体である。これらは単なる装飾ではなく徳川家康を「神」として祀る社殿では種々な象徴的意味を担っている。

人物彫刻は中国の伝説や故事を取材したものが多く、鳥獣の彫刻においては霊獣、霊鳥とよばれる、吉祥(よいきざし、めでたいしるし)的意味合いをもつものが多いという。

Prof.Bjoerkはあらかじめ勉強したらしく、いくつかの彫刻と英文の案内書を見て

指差しながら、夫人達に説明していた。

この外、いくつかの社殿などを拝観した後、日光駅近くに来た。その時、急にProf.Bjoerkが「curio shop」に行きたいと言い出した。Curioという言葉は、私が余り使わない言葉なので、暫く言葉のやりとりをして、ようやく“骨董店”であることが分かり案内した。

その為、東京の帰りの列車に、ようやく間に合った。

以上、Prof.Bjoerkが私をようやく思い出してくれた、日光の日帰り旅行である。

ウプサラからストックホルムへ

翌朝、指定された列車でストックホルムに到着した。改札口に向かって進むと、赤いレインコートを着たProf.Bjoerk夫人が私を見つけて手を振っている。私も手を振って応じた。

彼らの家に着くと夫人は家の中を案内してくれた。面積が広い豪邸ではなかったが、住み易そうな、よく整頓された家だった。末娘の部屋に案内され、「ここが4日間お泊まり頂く部屋です」10代半ばの娘さんの好きそうな、飾り物が所狭しと飾ってあった。

食堂でコーヒーをご馳走になっていると、“東京”に帰って来たような、安心感、懐かしさと親しさが甦って来た。夫人と話をする時、私は“ハイ、ハイ“と返事をしていた。夫人は「日本の方はハイと言いますね。東京を思い出します。」と言ってニッコリと微笑んだ。

Mid Summer Day(日本の夏至祭り)のお祭りを見学

翌日は長女とまだ、やんちゃざかりの長男と一緒にMid Summer Dayの開かれる広場に連れて行ってもらった。スエーデン語ではMidsommerという。

スエーデンの北部では6、7月には白夜となる。ストックホルムでも夜22時ころ夕日が沈み、朝4時ころには太陽が昇る。日照時間が長くなり始めるとスエーデンの人々は近づく夏に心を躍らせ、人々は外で過ごす時間は長くなる。

スエーデンではMid Summer Dayはクリスマス、イースターと並ぶ最も重要な行事の1つである。もともとキリスト教に由来しており、洗礼者ヨハネを祝うお祭りである。

先ず、広場の中央には、白樺の葉と季節の花で飾られたメインポール(高いものは20メートル、普通5、6メートル)男性たちの掛け声と、音楽の演奏に合わせて時間をかけて立てられる。

スエーデンのMid Summer Dayのメインポール

メインポールの形は諸説あるが、女性と男性を象徴すると言われている。スエーデンでは3月に生まれる子供が多いという。また、未婚の女性はMid Summer Dayの夜、7種類の草花を枕の下に敷いて寝ると、将来の結婚相手を夢見ることが出来ると伝えられている。メインポールは農作物の収穫を祝い、子孫の繁栄を願う思いが込められているという。

メインポールの下で、老若男女が皆な手をつなぎ、輪になってダンスを踊る。踊る人の半数近くは民族衣装で着飾っている。この踊りの定番に「カエルダンス」がある。

皆カエルの真似をして「クッワ、クッワ」と飛び跳ねる様子は微笑ましい。

B夫人に踊るように誘われたが、ダンスの出来ない私は遠慮した。夫人と子供たちは30分くらい楽しそうに踊った。その後、パーテイー会場で、ご馳走を楽しんだ。ニシンの酢漬け、デイルという香草を入れて茹でたジャガイモ、サーモン、スペアリブ、季節のデザート、フルーツなどが美味しかった。

大人達は、白夜の夜を飲み明かすのを楽しみにしているという。