第14話 恩師・榊原 仟先生とゴルフと私【part2】

【“関東プロ”の大看板】

 関東プロというとこんな思い出もある。

 関東プロとは関東の大學の外科の教授(プロフェッサー)が年2度くらい開くゴルフのトーナメントのことである。前回優勝した教授の教室が幹事となって関東プロを開催する。その教室の教授のゴルフが上手だと、時々その教室は幹事になるので手慣れたものであった。しかし、初めてその教室の教授が優勝すると、次回のコンペはどこのゴルフ場で開催しようか?どういう賞品にしようか?などと苦心する教室もあった。

 その日は某教授の教室が初めて主宰した。そのゴルフ場の玄関の横の目立つ所には、墨黒々と“関東プロ開催”と大きな立て看板が立てられていた。“随分派手なことをするね”などと言いながら、私たちはロッカールームに向かった。その教室の幹事も側でゴルフ用の服装に着替えていた。この幹事は、初めて関東プロを主宰する教室の講師であった。

 その時、「関東プロの幹事さん!至急フロントまでお出で下さい!」と2回、大声のアナウンスが響いた。幹事はスリッパのまま、急いでフロントに飛んで行った。暫くして帰って来た幹事は頭を掻きながら、「ここの支配人に大目玉を食いました。支配人が言うのには、『“関東プロ”という立て看板を、ここのゴルフ場のメンバーの方々が見て、“今日、ここで関東プロフェッショナル・トーナメントがあるのか?”と来るメンバー、来るメンバーから問い合わせがあるのです。中には怒っているメンバーもいます。大至急看板を片付けて下さい』と叱られました」とションボリしながら靴を履き替えていた。周りにいた“関東プロ”のメンバーは「初めての幹事だから張り切ったんだね。ご苦労さん」とか「大丈夫だ。元気を出せよ」「ドンマイ、ドンマイ」と言って幹事を慰めた。

 この幹事はシングル級の腕の持ち主で、1ラウウンド70の後半のスコアーであった。彼のスコアーは、ダントツの優勝スコアーであったが、教授(プロフェッサー)ではなかったので優勝は出来なかった。しかし、“関東プロ”のメンバーの発案で特別賞が授与された。

【越前男に加賀女】

 石川県金沢市の医師会に榊原先生が“教育講演”に招かれ、その翌日はゴルフの予定になっていた日の話である。

 講演が無事に終わり、先生と私は金沢の名所を歩いていた。その時、突然「新井君、“越前男に加賀女”というのを知っていますか?」と先生に質問された。余りに突然だったので、私は「ハアー!!加賀女は想像がつきますが、越前男は・・・・!?」と答えた。先生はニヤッと意味ありげな顔をされたが、この話はこれで終った。後で調べてみると、越前とは福井県のことで江戸時代、越前福井藩と言い、“越前男に加賀女”とは昔からの例えで、越前の国(福井県)の男は美男子で、加賀の国(石川県)の女は美人で、それぞれ優れているという意味の言葉だと言う。そう言えば榊原先生は福井県の生れであった。先生は均整のとれた長身の方で、口髭を蓄えられた凛々しい美男子であった。

 話は逸れるが、先生の口髭は極く稀に剃ってなくなることがあった。先生の話だと、奥さんとゴルフで賭けをして負けた時は口髭を剃るのだという。私が女子医大に勤務していた16年のうちに、2〜3回口髭を剃られたことがある。多分、賭けで負けた時であろう。

 先生は同年輩の先生方に“チンちゃん”という愛称で呼ばれていた。その起源を私は知らないが、幼少時から呼ばれていたらしい。ある時、先生の友人が「チンちゃん!ゴルフの腕は奥さんの方が、上手なんだってね」とからかった。先生は「家内はプロだ。俺は医者だ」と真剣な顔で反論された。

 先生の話によると、奥様は先生を病院に送り出した後は暇になるので、週3〜4回は近くの練習場に行く。そのほか週2回くらいはホームコースに行ってラウンドするのだという。だんだん腕前が上がり、同じくらいの腕前の女性の友人が沢山出来、奥様自身コースの月例盃でたまに優勝されるようになったという。ほとんど毎日のようにゴルフをやっているのだから、先生は「家内はプロだ」と言われたのであろう。初期のころは、先生が奥様を指導していたが、だんだん先生が指導されるようになっていった。

【入院して禁煙宣言】

 また、先生はヘビースモーカーであった。時々、禁煙されるのだが、「タバコほど止めるのが容易なものはないが、吸うのも容易だ」と時々止めたり吸ったりしておられた。60歳を過ぎられたころ、“今度は病院に入院して、絶対に禁煙する”と会う人毎に宣言され、また吹聴して、かなり先生の禁煙宣言が広まった。そのころ、先生は女子医大の特等室に入院された。下界との交流を一切遮断して、まるで禅僧の修行の如く精進された。そして、禁煙の自信がついたのか、丸3週間後に退院された。

 先生は禁煙の“コツ”は、「出来るだけ多くの友人に禁煙宣言を吹聴する。そして入院する。自分に2つの箍(タガ)を嵌める。その1つは、もし、たばこを吸うと、吹聴した人の誰かい会ったら恥ずかしい。軽蔑される可能性があると自戒する。その2は、“入院までして禁煙したのだ ”と、いつも自分自身に言い聞かせて、悪魔の手を払い除けることだ。」と言われた。そして、生涯禁煙を貫かれた。私は幸いタバコを吸ったことがない“煙草下戸(ゲコ)”なので、禁煙の苦しみは味わったことはないが、“生活習慣病”の予防では禁煙は第一に挙げられている。吸わないことが第一なので、もし現在吸っている人は速やかに禁煙されることをお勧めする。なぜなら、こんなに苦労をして禁煙された榊原先生も67〜8歳のころ肺がんの手術を受けておられるからである。

【ゴルフに王道はなく、即効薬も無い】

話をゴルフに戻そう。

 榊原先生が金沢市医師会で講演された日の夕食会はホテルの一室で開かれた。講演会で先生の前座を務められた武田製薬のアリナミンを開発された博士が同席された。博士のゴルフはシングルの腕前だという。食事をしながらゴルフの話になった。食事の終わりのころ、博士は女中さんにハガキを持って来させた。そのハガキに割り箸を垂直に刺しとうした。これをゴルフクラブに見立てて、クラブを振り上げるときの角度は何度、振り下ろしたときの角度は何度という理論を教えてくださった。次第に興がのり、3人とも立ち上がって、ハガキを刺した割り箸を左手に持って、クラブに見立てた割り箸を振り上げたり、振り下ろす動作を繰り返した。側で見ていた女中さん達は、大の男が何とつまらないことをやっているのだろうと思ったことであろう。

 翌日は晴天で、金沢の名門・片山津ゴルフ場でプレーをした。昨夜教えられた理論を実践すべくクラブの角度に気をつけて、クラブを振り上げ、また振り下ろした。しかし、ボールは無情にも左に飛び、右に飛び、距離も出ない。この日も大叩きの連続であった。理論が間違っていたのか、私たち(先生と私)の腕が悪いのか!?

 ゴルフに王道(安易に上達する方法)はなく、即効薬もないことが分かった1日であった。

【全員が優勝】

 私が女子医大・心研の医局長のころの、日本外科学会の評議員の選挙方法は、全国を4つのブロックに分け、そのブロック毎に評議員の定数があり、そのブロックの会員による選挙が行なわれ、得票数の多い会員が評議員に選ばれる方式であった。

 そのころの女子医大の外科学会会員の数はまだ少なく、女子医大単独の票数では1人の当選者も出せなかった。そこで、私は関東ブロックの私立医科大学連合に参加した。慶応大学、慈恵医大、東京医大などがその連合のメンバーであった。それぞれの大学で持っている票を集めて、連合の各大学に割り振りをし、出来るだけ多くの評議員を当選させる会議がもたれた。他大学の好意で女子医大は2人の評議員を当選させてもらった。この選挙方法は数年続いた。

 ある年、榊原先生が「大変お世話になっているのだから、私立連合の医局長をゴルフに招待しよう」と言われ、先生がメンバーの大利根カントリークラブに招待することになった。「おみやげを何にしよう。何でも持っている人達だから・・・」。なかなか名案は浮かばなかった。そのうち、先生がはたと膝を叩いて言った。「そうだ!!全員に優勝カップを贈ろう」ということになった。

 1ランドが終わり、食事の後、表彰式になった。「これから表彰式を始めます」と先生はニコリともせず真面目な顔であった。「優勝、O大學00君、次も優勝、X大學XX君。次も優勝・・・」

初め何のことかと訝っていた医局長達は、先生の意図が分かって拍手喝采。大爆笑であった。

 私は全員が優勝というコンペに参加したのは初めてであり、最後であった。榊原先生の面目躍如とした思い出である。