第15話 もうタオルの投入ですか!?

【もうタオルの投入ですか!?】

 電子メールが、ようやく普及し始めたころの話である。

 T大学麻酔科のS先生と、D医大胸部外科のM君とはメル友だが、直接会ったことはないのだという。M君は私の慈恵医大時代の教室員で、この時はD医大に勤務していた.一方、S先生と私は、東京でも有名なK病院での“ある出来事”を通じて知ってはいたが、個人的に会って話をしたことはない。今回は“ある出来事”の話である。

 某市で講演をされたS先生は、講師控え室でD医大の同窓会誌を偶然手にした.その時、その雑誌にM君の書いた私の紹介記事が載っており、それがS先生の目に止まった.その時、S先生に「 M君−新井—“ある出来事”」という連想が起こったのであろう。そして、その“ある出来事”をM君にメールしたのである。このメールをM君は早速、私にFAXしてくれた.次はS先生のメールである。

 『新井先生と私はほとんど面識がありません、先生はおそらく私のことを覚えていらっしゃらないでしょう.ところが、今から20年前のことですが、東京のK病院の手術室でこんなことがありました。具体的な手術の細かい内容は覚えていませんが、新井先生がK病院に来て手術のデモンストレーションをされました.開心術の主要な部分が終わり、加温にかかったころ、麻酔研修医が誤ってラクテックの空のプラボトルを手術視野に落としてしまいました.勿論、大変恐縮しましたが、その時、新井先生は少しも騒がず“もうタオルの投入ですか?”とおっしゃって、そのボトルを視野から除かれ、手袋を変えて手術を続けられました.その時点では、私は新井先生のことを、お名前しか存じあげませんでしたが、“何とも凄い人もいるものだ ”と感じいったのを記憶しています.その後、医学雑誌や新聞でお名前を拝見する度に、このエピソードと冷や汗を快く思い出します。“冷や汗を快く”というのも変な話ですが・・・.思い出すままに綴りました。』、

 読み終わった瞬間、あの手術の光景が蘇って来た.1973年のことである.4歳の子供の生まれつきの心臓疾患である心内膜欠損症(ECD)の手術の執刀を依頼されて、東京千代田区にあるK病院に伺った.麻酔はS先生が担当された。胸骨を開き、まさに心膜を切開しようとした時である.麻酔科の女医さんが、私のすぐそばの麻酔医の席から、高い椅子に上り、私の頭より高い位置から手術野を覗き込んだ。この女医さんの動きは私の視野にも入っていた。と、その瞬間、スーツ、ガラガラポンと“空のボトル”が、私の目の前を通過して、手術視野の中に落ちて来て敷布の上で一度バウンドして、開胸器で開いた胸骨の傷の中にスッポリ入ってしまった。

 私も、アッと息をのんだ。手洗いをしていた助手の外科医達や手術台の周囲にいた多勢の見学のドクターに、一瞬スーツとした沈黙と緊張が走った.私は即座にガーゼでプラボトルを包んで外回りの看護婦に渡し、捨てるように指示した.先ず、手袋を新しい手袋に変え、ペットボトルの落ちた胸骨の凹みをリンゲル液で数回洗浄し、ボトルが触れたと思われる術野の部分を全て消毒し、その上に消毒した新しい布を掛け手術を続行した。人工心肺装置を装着後、右心房を切開、ECDの僧帽弁のクレフト(裂け目)を患者の心膜を切り取って心膜パッチとして縫合し、パッチの余リの部分をY字型に切り僧帽弁の乳頭筋に縫着した。ついで、心房中隔一次孔欠損をテフロンパッチを用いて閉鎖した.この時の光景はテレビでビデオを見ているようによく覚えていた。

 しかし、ボトルが落ちて来た時、咄嗟に言った私の言葉を私は全く忘れていた。このFAXを読んで咄嗟に言った言葉を思いだした。“まだ、ゴングが鳴ったばかりなのに、もう、タオルの投入ですか?”とボクシングに例えて言ったのである.助手の外科医達や周囲の多勢の見学者たちの間から軽い笑みがもれた.周囲の緊張感も和らいで、手術はいつものペースに戻り、手術は無事終了した。

 さて、そのころ、私の患者さんにボクシングの熱狂的フアンがいた。彼はリングサイドグループという組織を作り、そのリーダーというかボスであった。その方から、世界タイトルマッチのリングサイドの切符を2枚時々頂戴した。そこで、私はボクシング好きの医局員を同伴して、いつも選手の汗の飛んで来るリングサイドで観戦した.私たちは世界タイトルマッチの30分から1時間前に到着した.リングサイドグループのボスは目ざとく私たちを見つけると、私たちの席に座っていた若者に「新井先生が来られたからどけ!どけ!」。別の若者に「先生たちの弁当を持って来い」と命じた。私たちはおいしい幕の内弁当を食べながら、タイトル戦の前座である“5回戦”を観戦した。これは、ボクシングというより、グローブを着けての殴り合いであった.殴られてグロッキーになった選手のセカンドから“もう戦えない.負けたので試合は中止”というサインに、大きなタオルがリングの中央目がけて投げ入れられる.そのタオルがリングにフワッと落ちて行くさまと、“ボトル”が私の目の前を、宙を舞うように落ちて行くさまとが、私の脳裏のどこかで結び付いて、“もう、タオルの投入ですか?”という“咄嗟の言葉”になったのであろうか?!

 ともあれ、この患者さんが、3週間後に感染の何の徴候もなく、無事退院したという電話で、私は、はじめて、ほっと胸をなで下ろしたのである。

 参考文献:胸部外科(南江堂)1997年2月号