第18話 偶然からの大発見 【part2】

II.) 人工心肺を一気に実現化した原理:Azygos facter

 米国California州の南部の港湾都市、海軍の軍港でもあるSan Diegoは風光明媚で、気候が温暖(海流の関係で夏は涼しく、冬は暖かい)である。このためか、大きなconvention centerがあり、頻回に心臓外科関連の学会が開かれている。私も2、3年に1度、学会に参加した。学会が終了すると、車で2時間くらいのところにあるゴルフの名門コース・La CostaでJ医大のK教授とゴルフを楽しんだ。

 ある日、スタートを待っていると、スタート時間を調整する日系3世の女性職員が近づいて来た。「カナダから来られた一人のお客さんですが、ドクターというのでthree・some(3人一組)でラウンドして下さい」と頼みに来た。私たちも快く応じた。カナダのドクターをH先生としておこう。

 H先生は私と同じくらいの年齢の方だった。H先生は初め一般外科医(腹部外科医)と自己紹介をした。私たちが心臓外科医であることを知ると、彼は「私は若い頃、トロントの小児病院で、小児心臓外科で有名なMustard教授のレジデントとして働いていました」と話し出した.ゴルフをプレーしながらの、断片的な話だったが、これを纏めてみよう。

 H先生の話。 『1950年ころ、欧米で人工心肺の実験が盛んに行われるようになり、臨床にも用いられるようになりました。Mustard教授も臨床に応用しました。用いた肺は“猿の肺”でした。

 人工心肺の回転を始めると、猿の肺もよく機能し、患者から導いた青い静脈血が猿の肺を通過すると真っ赤な動脈血となって人工心肺の回路に導かれ、患者の股動脈に送血されます。初めのうちは実に順調なのですが、20分も立つと猿の肺は次第に肺水腫状態(肺胞に水が溜まる)となり酸素化効率は次第に落ちて、40分もすると全く肺としての機能を果たさなくなります。この方法を、臨床に5例用いましたが、全例同じような経過で死亡してしまいました』 H先生は昔を思い出して懐かしそうに、そして少し残念そうに話してくれた。

 このような極めて初期の人工心肺の臨床にタッチした欧米の医師の話を聞いたのは、これが初めてであった。

1951〜1953年の人工心肺の臨床成績

 1951~`53年の人工心肺の臨床成績を調べてみると、成績は極めて不良である。

Dennis( 2例、フイルム型,‘51年)、 Helmsworth( 1例、気泡型、‘52年)、 Gibbon( 6例、フイルム型,‘53年)、 Dodrill( 1例、Autogenous,‘53)、Mustard( 5例、サルの肺、‘51~‘53年)、 Clowes( 3例、気泡型、‘53年)の論文が発表されている。この18例の人工心肺の臨床成績を見ると生存はわずか1例のみである.この成功例は1953年にGibbonが行なった心房中隔欠損症で、世界最初の成功例である。Gibbonは続いて2例の患者を手術したが、2例とも死亡したため、人工心肺の臨床は諦め、故郷に引退したと言われている。

 このころの人工心肺装置の流量はヒトの心博出量と同じくらいの大流量回転が必要と考えられていた。そのため、装置は大型で、操作は複雑、巨額の費用を必要としていた。また、成功したのが18例のうち1例のみで、それも心房中隔欠損症例である。このころ既に低体温法が開発され、心房中隔欠損の手術なら、この低体温法で充分だという意見も現れていた。このため、人工心肺の研究をする研究者が少なくなり、危機的状態であったと言われている。

手技の誤りから見つかった原理

 1952年、イギリスのAndreasonとWatsonはイヌの実験で心臓に流入する上・下大静脈を結紮遮断し、心臓と呼吸と脳に対する影響を検討していた。すべてのイヌが4〜8分で、心臓も呼吸も停止した。実験を継続しているうちに、30分間心拍動を続けるイヌが現れた。解剖してみると、本来、上・下大静脈を心房との接合部で遮断すべきなのに、V. Azygos (奇静脈) 註)が上大静脈に注ぎ込む部位より末梢で遮断したためであることが分った。この奇静脈から流入する血液量は、通常の心博出量の10分の1にも満たない血液量であった。この小流量で、イヌは35分の遮断なら心臓も脳も回復した。Andreasonらは、この実験をAzygos factorという題で発表した。

 註)V.Azygos奇静脈:第1腰椎の腹側から始まり、横隔膜の大動脈裂孔を通過し、脊柱の右側を第4胸椎まで上がり、上大静脈に流入する。上大静脈の10〜20分の1くらいの太さである。右縦隔静脈とも言われている。

Lilleheiらの研究:Azygos—flow principle

 ミネアポリス・ミネソタ大学のLillehei教授らは、人工心肺の研究に行き詰まっていた。Andreasonらの文献を読んで、この研究に飛びついた。というか、早速LilleheiらはAzygos factorの追試に没頭した。多数の動物実験の後、平均8〜14cc /kg体重 /分で生命が維持される最低流量であることを見出し、Azygos—flower principleと名付けた。30分間なら通常の心博出量の10分の1くらいの小流量で全身の循環の維持が出来るのだから、それまでの莫大な流量が必要と考えられた人工心肺装置を一気に実現可能にした画期的な考え方(原理)である。

交差循環法(Cross Circulation)

 極めて小流量でイヌが生存することは分かったが、そのころ優れた酸素化装置がまだ開発されていなかった。そこでLilleheiらは、実に奇抜な方法を考えた。

 図1に示すように、子供の患者の父親か母親の肺を利用する方法である。父親か母親をドナー(血液の提供者)とし、先ずドナーの股動脈に長いチューブを挿入し、腹部大動脈まで到達させる。長いこのチューブの他の端を子供である患者の大動脈に挿入する。そうすると、ドナーの赤い動脈血が患者の大動脈に送り込まれる。次いで、患者の上・下大静脈に長いチューブを挿入し、チューブの他端をドナーの股静脈から下大静脈に挿入して、患者の静脈血をドナーに返すという循環サーキットができる。このサーキットの中央にシグマモーターポンプをセットすると、ポンプの圧力で親の動脈血が患者の大動脈にスムーズに押し込まれ、患者の静脈血が親の股静脈にスムーズに流れ込む。このように、動脈血と静脈血がスムーズに循環している間に、右心房あるいは右心室を切開して、患者である子供の心臓奇形の修復を行なう方法である。彼らは精力的に動物実験を行い、その結果が良好だったので臨床に応用した。

 

(part3へ続く)