第52話 —Francis Fontan教授— 【part1】

フランス・ボルドー(Bordeaux)大学心臓外科教授、フォンタン手術の開発者
Francis Fontan教授(1929〜2018)についてお話しよう。
フォンタンと読む人が多いが、フォントンと発音する人もいる。

私が初めてProf. Fontanを、例のヨーロッパ心臓外科手術視察団の人達と
(Prof. BjoerkやDr. Rossを訪ねた時とほぼ同じメンバー)アムステルダムで開かれたヨーロッパ心臓病学会議(7th Congress of the European Society of Cardiology)の途次、フランスのボルドーのHospital du Tanduに訪問したのは、1976年6月である。現在ではフランスの誇る高速鉄道TGVが開通したので、パリーとボルドー間は2時間少しで行けるが、当時はその2倍くらいの時間がかかった。

午後9時ころにはボルドーに着きたかったので、パリー駅を午後4時少し過ぎ、当時の急行列車に乗った。私はヨーロッパで列車に乗るのは初めてで、列車で見るフランスの景色を楽しんだ。

超・美味しかった“カモ”の列車弁当

列車に乗って2時間位すると、列車食堂の2人の男性給仕が12個の弁当を座席まで持って来て団員一人一人に手渡してくれた。きれいなデザインをした厚い紙の箱で、日本の駅弁の2倍くらいの大きさであった。多分日本から一緒に行った添乗員があらかじめ頼んで置いたのであろう。

その日は移動時間の関係で、皆んな時間をかけて充分な昼食が食べられなかったので、かなりお腹が空いていた。弁当のふたを開けると、カモ独特の香りがした。カモが主菜で3、4品の副菜がきれいに並べられていた。どの副菜もおいしかった。最後に食べたカモの料理は絶品だった。“カモ料理はこんなにおいしいものか!”と思えるほど美味しかった。団員達全員満足したようであった。

日本胸部外科学会の会長招待を“カモ料理“で有名なホテル・ニューオタニのトウールダルジャンで開催

カモ料理に関係した話を続けよう。

1988年私は第41回日本胸部外科学会を、会長としてホテル・ニューオータニで開催した。A,B会場は収容人員1000人、C、D、E会場は5〜700人、F、J、H、I会場は3〜500人で、ホテルの300人以上収容できる部屋を9室全て3日半の学会期間中使用した。医科器械展示場は大きなシャンデリアの輝くホテルの中央庭園に面した庭園のよく見える2階の大広間を用意した。

そして、この学会の会長招宴をカモ料理で有名な“トウールダルジャン”(以後Tと略す)で開催することにし、学会会場が決まると同時にTを予約した。

Tからは電話で、料理にはA,Bの2種類のコースがあるので、学会開催1ヶ月以上前にコースを選んで欲しいとの要望があった。そこで料理のコースを選ぶ為に、電話で予約し、私と医局長など4人で試食のために訪れた。

パリーのトウールダルジャンは400年以上続いている名老舗で、昭和天皇もパリーの本店を2度にわたり訪問されたという。日本のTは1984年、世界で初めて誕生した支店であると言う。私の予約した1988年は、まだ誕生4年目の新しい支店であった。ホテルの廊下からTに入ると途端に、そこは、もうパリーの雰囲気であった。かなり長い、少し薄暗いエントランスがあり、両側のガラス張りのショウウインドウには、この店に来訪した有名な欧米人の写真が多数飾られていた。しかし私の知っている人の写真は1枚もなかった。さらに奥に進んで行くと、日本人の写真が1枚見つかった。それは、次期総理大臣を狙っているという宮沢、安倍、竹下の3氏がテーブルの椅子に座り、にこやかな表情でこちらを向いている写真であった。覇を競っている人達も、こんなに和やかな時があるのかと思いながら、さらに奥に進むとマネージャーが出迎えて案内してくれた。先ず、10人くらいの個室を案内し、次いで、中央に特大のシャンデリアのあるダイニングルウムへと進んだ。

「この部屋は最大で80人、それ以上は入れません。」とマネージャーは説明した。私は100数人の方をご招待したかったので、招待者を2つに分けることにした。その1つは日本胸部外科学会・会長経験者の方方で、ホテルの庭園内にあり、Tから徒歩2、3分の距離にある“灘万の山茶花荘”で、既に20数名入れる広間を予約しておいた。山茶花荘については、後にふれる。

トウールトダルジャの料理のコースにはA,Bがあるので、この日はAのフルコースにし、1週間後にBコースを試食することにした。次々と料理が出された。また、マネージャーが来て、「ワインは3000本くらいご用意しております。また3人のバイオリンのアンサンブルもご用意できます。世界各国の国歌や民謡などを奏でる優秀なバイオリニスト達です。」そこで私は、この3人のアンサンブルも予約した。

次の週、再びTを訪れ、Bのフルコースを試食し、4人で相談し、会長招宴の時はAコースの料理にした。

会長招宴の当日になった。山茶花荘の方から話を始めよう。

その約1年前に世界首脳会議が東京で開かれた。その1夕、日本政府の主催で首脳会議のメンバーの晩餐会が山茶花荘で開かれた。アメリカからはレーガン大統領、イギリスからはサッチャー首相など各国の首脳約20人が出席した。この時の席順を女将から聞いて、レーガン大統領の席は、最長老である消化器外科の権威・中山恒明先生、女性のサッチャー首相の席には私の恩師・故榊原仟先生夫人・榊原米子氏、その他20人の方は、年長順に首脳会議の晩餐会の席順に座って頂いた。

まず私の開会の挨拶の後に、中山先生に挨拶と乾杯の音頭を取って頂いた。その後、中山先生から「新井君、こちらの宴会は俺たちに任せなさい。楽しく皆んなでご馳走になるから。」と言って頂いたので、私は直ぐトウールダルジャンに引き返し、15分後に開会の挨拶をし、次いでMayo clinicのDr.ダニエルソンに乾杯の音頭を取って頂き会を始めた。次々と料理が運ばれた。招待者の殆どの方はトウールダルジャンに来られるのは初めてのようだった。招待者からは、“素敵なレストランを選んでくれたね。”とお褒めの言葉を頂いた。

次々に料理が運ばれて来る間に、招請講演をお願いした米国、英国など7人の外国人の方々に挨拶をお願いした。1時間くらいたった頃、3人のヴィオリンのアンサンブルが始まった。アメリカの国歌や民謡、イギリスの民謡、童謡などを1時間くらい演奏してくれた。そして、メインデッシュであるカモの料理になった。招待客は皆さん、にこやかで満足そうであった。

トウールダルジャンの宴会も9時半くらいに終了した。私は出口に立って一人一人握手してお見送りをした。招待者からは感謝の言葉を述べて頂き、私も大変嬉しかった。全員を送り出して、私はホットした。そしてよいレストランを選んだと思った。

灘万の山茶花荘のほうは15分先に終宴した。招待した長老達にも満足して頂いた。

目的地ボルドーに到着

 

話を列車のほうに戻そう。

美味しいカモの列車弁当を食べ終わって約1時間後に目的地ボルドー・サンジャン駅に到着した。この駅の広大なプラットフォームの天井は、美しい鉄骨で組み立てられており、19世紀の香りの残る駅であった。ここで現地の30代の女性の案内人(M嬢としよう)とフォンタン教授の教室の医局員1人に迎えられた。

M嬢は私たちを集めて、今日と明日の予定をアナウンスした。“これから小型バスでホテルに向かいます。団長さんは迎えのドクターの車でホテルに直行して下さい。明朝は8:00時から大学講堂で学長はじめ数人の教授の方々の歓迎レセプションが開かれます。先ず学長の挨拶があります。その後団長さんはその返礼の挨拶を英語でして下さい。私がフランス語に通訳します。手術は9時頃から見学する予定です。” と奇麗な英語のアナウンスは終った。