第6話 常に喜べ【part1】

 私は慈恵医大の学生時代、飯田橋にあった埼玉学生誘掖会という寮で生活をしていた。埼玉の誇る澁澤栄一大先輩が埼玉県の大学生のために建てられた寮であると私は聞いていた。埼玉県の各地から、東京六大学をはじめ東京にある種々の大学の20数人の学生が集まっていた。その中に私より2年後輩の歯科大学生T君がいた。彼は中学時代からの秀才で、将来必ず歯科大学の教授になる器だと嘱望されていた。彼は私を兄のように慕ってくれていた。彼がある日、「新井さん、近いうちに俳優座のチェーホフの“桜の園”を見に行きませんか? 切符は私が買って、新井さんに奢ります。」と言うので私は喜んでその誘いに応じた。さらに彼は「私の歯科大学の同級生の妹に、今売り出し中の俳優座の女優IKさんがいます。同級生の家に遊びに行った時にたまたまIKさんに会いました。その時以来私はIKさんファンになってしまいました。」

【はじめての観劇  - 俳優座“桜の園”-】 

 田舎育ちの私は新劇、歌舞伎、新派,オペラなどを観劇したことがなかったので、ワクワクしながらT君について、三越劇場に向かった。開幕すると豪華絢爛というのだろうか、舞台は満開の桜で飾られた桜の園に、ロシア風の洋服を着た東山千栄子扮する女主人のラネーフスカヤ夫人が、迎えにきた娘のIK扮するアーニャと共にパリから帰って来たところから劇は始まった。堂々たる貫禄の東山千栄子の独特の語り口と、それと相対する可憐なIKの初々しい対話のやりとりが絶妙であった。山国の田舎育ちの私はこの世に、こんなに華やかで美しく、人を引き込む世界があったのかと驚いた。私たちはIKを見に、そして聞きにきたのだから彼女の一挙手一投足を見逃すまいと真剣であった。特にT君の眼差しは真剣そのものだった。

 
  劇の大筋は次のようである。このころラネーフスカヤ夫人の家は破産の危機に瀕しているのに,夫人はそれが理解できず、人に施しをしたり、高価な食事をしたりしていた。いくつかの経過をたどるが、結局「桜の園」は競売にかけられ落札されて他人の手に渡ってしまう。泣き崩れる母ラネーフスカヤ夫人を娘のアーニャは「行きましようママ。もっと美しい園を作りましょう」と励ます。この時のIKの語りは素晴らしく、また印象的であった。母ラネーフスカヤ夫人も自分の置かれた立場を徐々に受け入れていく。そして桜の園に流れていた古き良き時代は終わりを告げる。そして桜の木を切り倒すために打ち込まれる斧の音だけが場内に響いて幕となる。

 初めての観劇と斧の音の余韻に浸りながら、私たちは地下鉄と電車を乗り継いで飯田橋の寮に向かった。感激していたためか私たちは寡黙であった。私たちが“桜の園”、とくにIKさんについての感想を話し合ったのは翌日の夕食後であった。

【年賀状】

 その翌年、私は年賀状に、謹賀新年の横に『香り高く』と書いて、15人ほどの知人や友人に発送した。正月休みが明けて寮に帰るとT君に会った。彼は「今年の新井さんの年賀状は秀逸でした。「香り高く」とは、いかにも新井さんにピッタリの言葉ですね。」と何度も激賞してくれた。私はこれに気をよくして、その翌年から毎年の年賀状は謹賀新年の横に、その年に読んだ詩やエッセイの中から私の心に響いた1行か2行の言葉を書くのを習慣にした。この1、2行を見つけるのに苦労することがあり、数年後からキリスト教の旧約聖書か新約聖書の心に響いた言葉を書くようにした。その習慣はもう60年くらいになるが、その年の言葉を見つけるのに苦労することもある。1年たつとその言葉をかなり忘れてしまうので、ここ10年くらいは年賀状を保存することにした。そうした言葉の中からいくつか拾ってみよう。

『心の貧しい人は 幸いである』 マタイによる福音書。5章3節

『地には平和』 ルカによる福音書。 2章14節 (この頃、日本だけでなく世界が混乱していた。母は“地には平和”とは,今の時代に最もふさわしい良い言葉ですね。平和を与えて下さいと神に祈りましょう。)

『平安あれ平安あれ / 遠くにいる人にも / 近くにいる人にも』 イザヤ書 7章19節

『光のあるうちに / 歩きなさい 』 ヨハネによる福音書 12章35節 (この言葉はトルストイの“光あるうちに、光のなかを歩め”という小説の題になっている)

『喜ぶ人と共に喜び / 泣く人と共に泣きなさい』  ローマの信徒への手紙 12章15節

『愛は寛容であり / 愛は慈悲深い』 コリント信徒への手紙 I 。13章4節 (1983年、日本胸部外科学会の副会長選に、初めて立候補し、落選した。落選するとほかの人の私を見る目が大きく変わったのに気がついた。そして無性に私は寛容で慈悲深い“愛”が欲しくなった。翌年、私は選挙で副会長に当選した。) 

『明日のことを思いわずらうな。1日の苦労は、その日1日だけで十分である。』マタイによる福音書 6章34節(私に何かの苦労や煩わしい思いがあった年かもしれない。)

  見えないものに、目を注ぐ』 コリント信徒への手紙 II。4章18節 (この言葉に続いて聖書には“見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存在するのです”とある。)

『心を尽くし  / 精神を尽くし / 力を尽くして』 申命記 6章5節 (慈恵医大で樋口学長に心臓外科教室を創設していただいた。私は私なりに心を、精神を、力を尽くして19年間、教室の運営をさせていただいた。)

『後なるものを忘れ / 前のものに向かって走る』 ピリピ人への書 (文語訳) 3章13節 (慈恵医大を辞して埼玉県立循環器病センター準備室に入った年である。)

『夕暮れになっても / 光がある』 ゼカリア書 14章7節 ( この言葉は宗教的には深い意味があるらしい。75歳前後は人生の夕暮れであると私は思う。その時、光があることは何と幸せのことであろう)

『白髪になってもなお実を結び /  命に溢れいきいきと』 詩編 92章15節 (75歳を過ぎたころ、残る人生を“命に溢れいきいきと”と生きてみたいと願った。香港のある寺院を見学した時、“万人、白髪を願う”とあるのを見つけた。いずれの地の人も、白髪=長寿を願うのは同じだと思った。)

2003年に『常に喜べ  / 絶えず祈れ  /  全てのこと感謝せよ』 テサロニケ人への前の書、文語訳、5章16〜18節(この言葉を墨書し、これを印刷した年賀状を発送した。)