第6話 常に喜べ【part2】

【アンサンブルK】

2003年の年賀状より10年くらい前のことである。その地方では有名なオーケストラの指揮者S氏よりお手紙をいただいた。その要旨は、S氏の住んでいるK市に数百人収容できる多目的市立ホールが完成した。これを機会にK市の協力を得て、そのホールで演奏するアンサンブルを組織することを計画している。しかし、K市と折衝する方策がない。そこで、ぜひ、力を貸して欲しいとの趣旨で、発起人予定者10人の名前が羅列してあった。東京ステーション・ホテルで第1回の会合が持たれたが、この会合では海のものとも山のものとも分からず、よい方策は見つからなかった。第3回目の会合で、この会の委員であったK市の有力者が、ある機会に市長と会い話し合ったところ、市長も大変乗り気であることが分かった。そして、アンサンブルが市の協力を得て組織され、年2〜3回の演奏会を開くことができるとS氏により報告された。その時のS氏の顔は喜びに輝いていた。私もS氏が指揮者としての本拠地ができたことを喜んだ。

つぎの会合はK市のホールで開かれた。近代的な立派なホールで、音響効果には特に力を入れているとの説明であった。この会合の議題は主にアンサンブルの運営と名称であった。名称はアンサンブルKとすぐ決まったが、つぎにヴィルトウォーゾという名称をKの後につけるか否かを巡って意見が分かれた。喧々諤々というほど長い議論であった。最後にS氏は「ヴィルトウォーゾとはイタリー語で“選び抜かれた人”という意味なので、ぜひつけたい。」という申し出があり、30分以上にわたった議論は決着した。この議論でヴィルトウォーゾ。ヴィルトウォーゾという名称が何度も、何度も繰り返えされているのを聞いているうちに、私は何かに似ているぞと思った。そうだ“ビールをどうぞ”だと、ひとり心の中でほくそ笑んだ。

【ビールをどうぞ!】

 その後、場所を変えて懇親会が持たれた。司会をしていた市の副市長から「新井先生、乾杯の音頭をとって下さい。」と指名された。委員たちのコップにビールが注がれたのをまってから、私は立ち上がった。「それでは乾杯の音頭をとらせていただきます。“ビールをどうぞ!”」とコップを高くあげた。一瞬、皆さん言葉が出なかった。つぎの瞬間、爆笑とともに「ビールをどうぞ!ヴィルトウォーゾ!!」といって乾杯した。隣にいたS氏が「指名されて1分もたたないのに“ビールをどうぞ!”というジョークがよく出ましたね。さすがは先生だ。」と誉めてくれた。

その半年後に演奏会は開かれることになった。