第63話 —私の贅沢な旅行 ~英国・ロンドンースペイン・マジョルカ島ーマドリッドーポルトガル・リスボンーロカ岬—【part7】 リスボン

リスボン

リスボンはポルトガルの首都で、ポルトガル語でLisboaリシュボアという。ヨーロッパ大陸(イベリア半島)最西端の首都。大西洋に注ぐテージョ川の河口から約12キロメートル上流の右岸に位置する。年間を通じて温暖で「7つの丘の街」と呼ばれ、起伏の激しい土地に、約50万人が住んでいる。近郷を含めると240万人といわれている。
起源は古代フェニキアの殖民市と言われ、ローマ帝国、ムーア人による支配の時代を経て、1147年アホンソ1世の治下にはいり、1256年アホンソ3世によりポルトガルの首都と定められた。大航海時代以後はインド、ブラジル航路のヨーロッパの玄関口として香辛料貿易などにより発展した。18世紀以前いくつもの大きな地震を経験し、1755年には衝撃的な地震が起こり、当時の人口約25万人のうち、3万5千人くらいの市民が地震と津波の犠牲となり、市内の建物の85%が破壊された。その後、近代的都市が再建された。テージュ川の三角州が自然の良港となった。
19世紀には、ナポレオンの軍隊に攻め込まれた。
第二次世界大戦中、リスボンはヨーロッパの大西洋側の港としては当時珍しかった “中立” を標榜しており、10万人を超える難民がナチス・ドイツからリスボンを経由してアメリカに逃れたという。
リスボンは現在ヨーロッパの重要な交易の中心地となっている、ヨーロッパの都市の中でも比較的治安がよい。

リスボンには世界遺産に登録されているベレンの塔、ジェロニモス修道院、大航海時代を切り開いた偉人たちを顕彰した発見のモニュメントなどがある。これらを見学したので、簡単に説明してみよう。この時は、日本語の流暢なポルトガル人の女性(Pさんとしよう)を頼んで案内してもらい、その場所の説明をしてもらった。

ベレンの塔

リスボンの市街西部、テージュ川沿いにある16世紀の要塞。3階建ての石造りの四角い塔で、国王マヌエル1世(1469〜1521)の命により、リスボン港の防衛とテージュ川に出入りする船舶の監視を目的とした。この塔はヴァスコ・ダ・ガマのインド洋発見、マゼランの世界一周の偉業を記念してマヌエル様式で建てられた。1階には満潮時に水に浸される牢獄、2階には砲台があり、敵を威嚇するだけではなく、歓迎のために大砲を打ち上げるときもあった。天正の少年使節がリスボンに入港した時にも歓迎の号砲が鳴り響いたと言われている。3階は眺めが良く王族の居間があったが、現在は小さな博物館になっている。
参考文献:1)[みゆう]ヨーロッパの個人旅行。  2)コトバンク

発見のモニュメント(Padra~o  dos Descobimentos)

テージョ川岸にある高さ52メートルのコンクリート製の一大記念碑で、ヴァスコダガマがインド航路へ旅立つ際の船出の地として知られ、エンリケ航海王子没後500年を記念して建てられた。
大航海時代の船が帆を張った型をした巨大モニュメントで、エンリケ航海王子が先頭に立ち、帆の型をしたモニュメントの東側と西型に別れて、当時の探検家(インド洋航路の発見者ヴァスコ・ダ・ガマなど)・芸術家・科学者・宣教師(日本に初めてキリスト教を伝道したフランシス・ザビエル)など約30名のポルトガル人の偉人像が見られる。
記念碑の内部にはリスボンの歴史が展示されており、エレベーターで頂上に上がるとベレン地区、テージョ川の素晴らしい景色が眺められる。
参考文献  1)発見のモニュメント:ウイキペデイア  2)JTBなど

ジェロニモス修道院

1502年にエマニエルI世の命により、インド航路を発見し、香辛料貿易によりポルトガルに黄金時代をもたらしたヴァスコ・ダ・ガマの功績を称えて建てられた。完成までに300年をついやし、修道院と塔は世界の転換点となった大航海時代を象徴する栄光の記念碑であると言われている。「ポルトガルが誇るエマヌエル様式(*註)の最高傑作」と賞賛されている。1584年に天正少年使節団を出迎えた壮麗な南門、柱の彫刻や天井を支えるリブが重厚を醸しだすサンタ・マリア聖堂、中庭を囲む55m四方の回廊が見所である。ここにエマヌエル1世、バスコ・ダ・ガマ等の棺が安置されている。
(*註)エマヌエル様式とはポルトガルの財力を背景に発展した様式で、ループrope・珊瑚・天球儀など海洋にまつわるものや、異国の動植物をモーチフにした浮き彫りが特徴)

参考文献)インターネット:阪急交通社。Pokke

王宮(名前を失念)で儀仗騎馬隊に出会う。  

王宮前には盛装した数十騎の馬が前後2列で横に長く整列している騎馬隊に出会った。全員、金色の鉄兜状のヘルメットをかぶり、黒色の上下の服に白の帯を襷掛けに掛け、直立不動の姿勢であった。案内人Pさんは「今日はメキシコ大使の就任式がここで行なわれており、騎馬隊はその歓迎のためです。」と説明してくれた。白に少し黒毛の混じった馬と栗毛の馬のグループがあり、一騎の隊員は国旗を捧げ持っていた。
暫く私たちも道を隔てて王宮を立って見ていると、長時間整列しているために排尿したり、脱糞したりする馬があちこちで出始めた。しかし、馬は2.3回足踏みをするだけで、隊列は全く乱さなかった。よく訓練していることが分かった。

路面電車(トラム)

「狭い石畳の路地を、古い電車がガタゴト音を立てながら走る路面電車(トラム*註)の姿は、街並に溶け込んでリスボンの街を一層魅力的にしている。」という記事を読んだことがあるので、Pさんに連れて行ってもらった。
よくもこんな狭い路地に、上り線と下り線のレールが敷かれ、電車が走っているのにはただ驚くばかりだった。その線路の両脇には、ようやく人と人がすれ違うことができるくらいの歩道があった。私たちもこのトラムに乗ってみたいと思ったが、混んでいて5人が乗る余裕はなかったので、この路地を散歩した。
狭い坂道ではトラムと自動車の境界線はない。歩いていると、業務用の車(日本の軽自動車くらい)が荷物を降ろすために止まっていた。そこにトラムが来たが、進むことはできない。それでもトラムは警笛を鳴らすことも無く、じっと止まって待っていた。車が動き出すのを待ってから発進した。
(*註 トラム(Tram, Tramway : 英、仏、独、伊、スペイン語などで、路面電車のことをトラムと言っている。)
リスボンのトラムは1873年に“馬車鉄道路線”として運行が開始され、1924年に電車方式のトラムが導入され、その後、既存路線全てが電化された。最盛期には28系統運転されていたが、自動車交通の発達、地下鉄の開業などで、多くはバス路線に転換され現在は5系統の路線が運行されている。
もう私には年齢のため、リスボンまで行くチャンスはないが、1度乗ってみたかったなあと今思っている。

リスボンのケーキ屋さん

本場の“カステラ”を食べてみたかったので、2、3軒のお菓子屋さんにつれて行ってもらった。どこも美味しそうなお菓子がたくさん並んでいた。黄色い色のケーキが多かった。それは卵をふんだんに使うためだと言う。その他、赤、青、白など色とりどりのケーキもたくさんあった。
Pさんは『日本の四角形をしたカステラはポルトガルにはありません。ポルトガルの伝統的なお菓子パン・デ・ロー(Pao-de-lo)がカステラの原型だと言われています。卵と砂糖を一緒に泡立て、小麦粉を加えて窯で焼くだけのシンプルなケーキで、バターや油脂などは全く使いません。
カステラは16世紀にポルトガルの宣教師が日本に伝えたケーキを、日本の職人さんが、混ぜ方と泡切れに工夫と改良を加え、品のよい、しっとり感のある“カステラ”を生み出したのだと思います。
パン・デ・ローは現在でも復活祭には欠かせないケーキです。大きく分けて、完全に火を通したタイプと、半熟を楽しむタイプがあります。ふんわりとした柔らかい食感なので大きいサイズでも一気に食べられます。

Partel de Noteは日本のエッグ・タルトです。日本でもそうですが、店により生地の硬さやクリームの甘さ、焼き具合などに違いがあります。ポルトガルでも店により違います。
この白色のケーキはススピーロ(suspiro)。“ため息”というケーキです。口の中で一瞬に融けて甘い味が口一杯に広がります。メレンゲを焼いたお菓子です。
1つ1つ説明していると、一日かかってしまいます。もう夕食の時間なので、お好みのケーキをいくつか賈ってホテルで食べて下さい。それではレストランに行きましょう。』
私たちは、ホテルに帰ってから食べようと、カステラの原型と言われているパン・デ・ローとそのほか美味しそうなケーキを3、4個賈ってから、Pさんについてレストランに行った。

リスボンのレストラン

リスボンには4泊した。昼と夕、全部で数回レストランに行ったので、その時楽しんだ食事を、思い出すままに簡単に紹介しよう。
いずれのレストランも干し塩鱈のメニューが多かった。

干し塩鱈(干しダラのことをポルトガル語でバカリヤウ:bacalhauという)

15〜16世紀のポルトガルは大航海時代で、インドやアフリカに向かって大西洋を横断するのに数ヶ月から1年近くを要した。この時の保存食として、最も役だったのが干し塩鱈であるという。干し塩鱈は、おいしくて、栄養価があり、消化し易く、ミネラルが豊富で、コレステロールはゼロだという。また、天日に干すため容積・重量ともかなり少なくなり、航海にもって行くのに便利であった。
干し塩鱈を水で戻し調理する。塩の抜き加減と味付けで料理が左右される。かなり古くからポルトガルでは干し鱈はよく食べられ、調理法は300以上あると言う。以前、鱈はポルトガル近海で捕れたが、近年は北欧からの輸入に頼っている。
レストランで食べて美味しかった干し鱈料理を、いくつか紹介しよう。
・干し鱈と玉ねぎのサラダ
・干し鱈とポテトのコロッケ
・干し鱈、玉ねぎ、ポテトのクリーム・グラタン(これにエビを入れてもおいしい)
・干し鱈、玉ねぎに薄切りのポテトの卵とじ。

干し鱈のほかの料理
・いわしの塩焼き(普通、日本で食べるいわしの2、3倍の大きさ)。
・魚介類のリゾット。
・エビ、アサリ、ポブスターそれぞれの鍋料理(残ったスープでリゾットにしてもらうと、これも美味しかった。)

明日は、いよいよ“ここに地果て、海始まる”のユーラシア大陸最西端「ロカ岬」への日帰り旅行である。大変楽しみである。