ロカ岬 (Cabo da Roca) “ ここに地終わり、海始まる “
ロカ岬まではリスボンから日帰りが可能というので、リスボンからシントラまで国鉄の列車で行き、シントラとカスカイスを結ぶ路線バスに乗って、ロカ岬で途中下車した。
ロカ岬はユーラシア大陸最西端の岬で、北緯38度47分、西経9度30分にある。
ロカ岬(Cabo da Roca)のCaboとは岩山を意味しており、ユーラシア大陸の最西端はゴツゴツとした岩山が海沿いに連なっている。大西洋から打ち寄せる波がパツと広がり、その波が砕けて白波となってひいて行くのも美しい。
バス停から遊歩道を歩いていて海面より140メートルの断崖絶壁の岬に到達すると、整備された石造りの広場に到達する。その周囲は年間をとうして、背の低い雑草の緑の絨毯で覆われ、広場には白い十字架を先端に付けた20メートルくらいの塔のような記念碑が建てられている。その碑には人の背の高さくらいの石碑が植え込まれ、
「Cabode Rocaロカ岬」と大きい文字の下に、織田信長と同じ時代に生きたポルトガルの英雄的詩人ルイス・デ・カモンイス(1524〜1580)の叙情詩、長編の『ウズ・ルジアダス・ルーススの民のうた』の第3詩20節にある 『ここに地終わり、海始まる』という詩の一節が、少し小さい字で刻まれている。「ここに地果て、海始まる」と訳す人もいる。
ここより少し高い160メートルの断崖の上には1772年に建てられ、現在も現役の赤い屋根の灯台がある。やや離れた所にロカ岬の観光案内所とカフェ・レストランの建物があり、ここでユーラシア大陸最西端証明書を発行してくれる。ロカ岬にはその他観光するような建物は何も無い。
岬の先端はストンと海に落ち込みそうな絶壁である。そこから少し離れて大西洋を眺めると、西側には遮るものは何もなく、少し丸みを帯びた地平線が遠くに見える。地平線が少し丸みを帯びているのは地球が丸いことを意味するという。地球が球状であることを海の船乗りたちは、ポルトガルのマゼラン(1480〜1521)が世界一周航海に成功し地球が円形であることを証明する以前から感覚的に知っていたらしい。ロカ岬の夕日は絶景であると案内書にあるが、その絶景の様子は海を見ただけでうなずける。私たちは時間がなかったので残念だったが、夕日は見なかった。
遮るもののない海を眺めていると、大航海時代、遥か沖を何艘かの船を連ねてインドやアフリカに向かって旅だって行った、発見のモニュメントに刻まれている英雄たちの他に、名も無い船員たちの野心・野望などが、自然に私の脳裏に浮かび、それらのことを思い描きながら、かなりの時間海を眺めていた。
カモンイスの「ここに陸終わり・・・」の詩の前後4行をみると
『わが国ルシタニアはヒスパニックにある。
全ヨーロッパの頭の、いわば頂の位置を占めて
そしてここで陸終わり、海が始まっているのだ。
それにまたポイポス(ギリシャ神話の太陽神アポロンの別名)が大洋で憩う地でもある。
(池上岑夫訳 「ウズ・ルシアダス・ルーススの民のうた」第3詩第20節:白水社、2000年12月)。
もう1つ日本語の訳(小林秀雄訳「ウズ・ルシアダス・ルシタニアの人々」岩波書店、1978年10月)がある。いずれも現在絶版らしい。
デ・カモンイスはポルトガルの発展に尽くした人々の偉業をギリシャの詩人ホメロスを模した雄大な作風で詩を描いたという。
(註)ウズ・ルシアダスとはローマ帝国が入ってくる前のポルトガル人のこと。ルースス=ルシタニアは古いローマの属州。現在のポルトガルとスペインの西部(現在のエストレマドウーラ州)に該当する。 ヒスパニアはイベリア半島の古名
尚、カモンイスは1580年6月10日に病死した。
現在、ポルトガルでは、彼の命日である6月10日を『ポルトガルの日』として国民の祝日になっている。
後日談であるがインターネットのロカ岬の項を読んでいると次のような話に出会った。
『探検家バスコ・ダ・ガマ(1460年頃〜1524年)がリスボンを出港し、南アフリカの喜望峰に到着した時のことである。その時ダ・ガマは、そこで熱烈な歓迎を受けた。喜望峰の人達は彼に彼の祖国の話をして欲しいと要望した。彼はヨーロッパの地図を書いてその説明から話を始めた。そして「ユーラシア大陸はポルトガルで終わり、そしてポルトガルから海が始まるのです。」と説明した。言い換えれば“ここに地果て、海始まる”となる。石碑に刻まれたこの一節の“ここに地果て・・・”とは、実はロカ岬だけでなく、ポルトガル全体をさしているのです。』
池上岑夫訳を見ても、
「(ポルトガルは)全ヨーロッパの頭の、いわば頂きの位置を占めて、
そして、ここで陸終わり、海が始まっているのだ。」となっている。
それまで私は“ここに地果て、あるいは、ここに陸終わり・・”とはロカ岬を指すのだと思っていたが、ポルトガルを指すのだと初めて知った。
しかし、ロカ岬に立って見ると “ここに陸終り、或は ここに地果て、海始まる。”というという詩の実感が湧いて来る。
その翌日から、第21回国際心臓血管外科学会に出席した。コンベンションセンターは市街地より離れており、センターと市街地のホテルを20〜30分かけて連絡するシャトルバスが運行されていた。2日目の帰りのバスでロンドンのDr. Rossに会い、隣に座ってRoss手術の成績が極めて良好であることを聞いた。このことは、以前Dr. Rossの項で紹介した。
『コンベンションセンターの看板の前で。慶応大学心臓外科教授・川田志明先生(当時)と筆者』
私にとっては贅沢な長い旅が終わり、リスボンからロンドンに出てBritish Airwaysに乗り換え一路日本をめざした。