第11話 出発を待ってくれた甲府行き特急列車【part2】

【手術中の写真を撮る】

 それから、しばらく後のある日、三尖弁閉鎖症(TA)という比較的珍しい先天性奇形の手術が予定されていた。TAにはいくつかの種類があるが、今回の症例は三尖弁が完全に閉鎖されているので、右心房に入った血液は全部、心房中隔欠損孔を通って左心房に入り、動脈血と静脈血が混合してから大きな左心室に流入する。この混合した動・静脈血は左心室と痕跡的右心室から同時に大動脈と肺動脈に送られる。このため、混合血が全身を循環するので、ブドウの巨峰色をした口唇や指のチアノーゼや呼吸困難などの症状がみられる。

 当時、TAに対する手術法はGlenn手術と言って、上大静脈と右肺動脈を吻合(フンゴウ)する方法が用いられていた。上半身の血液を右肺動脈に流すと酸素化された動脈血が多くなるので、チアノーゼは軽減されると考えられていた。TAは女子医大でもなかなか無い症例であった。私は、このTAのGlenn手術の術中写真が欲しかったので、心臓外科医で優れた写真技術を持っているY君を同道した。

 手術は右開胸で入った。ついで上大静脈の剥離、左肺動脈の剥離とその切断、上大静脈と左肺動脈切断端との吻合など、Glenn手術の要所、要所をY君に写真に撮ってもらった。「手が邪魔になります」「肺を押さえる“へら”をもっと引いて下さい」など次々と注文がくる。その結果、きれいな写真ができた。後にこの写真を拙書「心疾患の診断と手術」という心臓手術の教科書に載せた。

 手術は順調に終った。その2〜3ヶ月後にこの患児を診察した。チアノーゼは少し軽減し、症状も少し改善したが、まだ混合動・静脈血が残っているので、完全な手術とはいえないと感じた。その10年くらい後に、Fontan手術が開発された。この方法は、まず,Glenn手術を施行した後、心房中隔欠損部を閉鎖する。ついで、右心房血を弁付きグラグトを用いて左肺動脈に吻合する方法である。こうすると静脈血と動脈血が分離され、混合しなくなるので、チアノーゼはほとんどなくなり、機能的根治手術といわれている。私は2度フランス・ボルドーにDr.Fontanを訪ねて、2日間に渡ってFontan手術を2例見学した。その後、私もこの手術に成功した。機会をみて、私がフランスのボルドーで見学したDr.Fontanの手術と私の経験、さらに改良されたFontan手術についてお話したいと思う。

【出発を待ってくれた急行列車】

 1年くらい後、甲府のK病院では人工心肺装置を購入し、手術も本格的になった。その日は人工心肺の第1例目だったので、人工心肺の専門医F君と2人で女子医大を出発した。新宿駅の改札口を通ろうとして、切符と指定券を駅員に渡した。そのころは駅員が切符にパンチを入れるシステムであった。駅員は私の切符を見て、パンチを入れないで、「急いで行って下さい」と切符を返した。F君もパンチを入れず切符を返された。2人は「まだ時間があるのにおかしいね」と言いながら甲府行きの列車のプラットホームの方向に歩いて行った。ホームに通じる30段くらいの上り階段を見上げると、1人の中年の婦人が大きな荷物を両手に持って、息せき切って、腰を振りながら上って行く。“おかしいぞ”と私たちは階段を駈け上がった。ホームには乗客の姿は全く見えない。当時は箱形の列車だったので、運転席から前方の階段はよく見えていた。この運転席のすぐ後ろのドアだけ開いていた。私たちが階段を登りきると、走って行った婦人がこのドアから乗り込むところだった。私たちも急いで走って行ってこのドアから飛び乗った。乗るとすぐドアが締まり、同時に列車は動き出した。列車が揺れるので、列車の通路を千鳥足のような状態で揺られながら、3つか4つ後ろの車両の指定席に着いた。2人とも息が少し上がっていた。「間に合って良かったね。乗り遅れるとI部長に迷惑がかかるところだった」と2人は顔を見合わせた。

 席に座ってゆっくりしてから、指定券を見ると、列車の出発時刻が私たちの考えていた時刻より10分早くなっていた。1週間前に時刻改正があったのを私たちは知らなかったのだ。

 なぜ列車が待っていてくれたのだろう? 私は次のように想像した。運転手は列車の出発時刻がきたので発車しようとした。そこに例の婦人が,真正面にある階段から上ってくるのが見えた。そこで発車を少し待った。数十m走って来た婦人が乗ったので、さあ出発と思ったときに私たちが階段から上ってきるのが見えた。出発してしまうと、次の急行列車まで2時間くらい待たせることになる。仕方がない、待ってやろうと考えた。結果、2〜3分遅れで出発したのではないだろうか。

 もし、あの婦人がいなければ、私たちが階段を上った時には,列車はすでに出発し、私たちの目の前を通過していただろう。

 病院では、人工心肺装置を使用して手術する第1例目であったが、手術は順調に終了した。もし乗り遅れていたら、患者さんを2時間も待たせてしまったし、人工心肺の準備にも齟齬をきたし、I部長はじめ病院のスタッフをイライラさせたことだろう。そうでなくとも第1例目はトラブルが起こりやすい。いろいろ考えてみると、こんなにも順調に人工心肺第一例目が終了したのは、私たちが遅れないで病院に着けたからである。それは、あの走っていった婦人と運転手の機転のお陰である。私は心のなかで、この2人に感謝した。