第13話 ジャカルタの休日 海難事故との遭遇【part1】

【急変したジャカルタの休日

 私のジャカルタでの宿舎は、日本のT建設の支店長の家であった。私がジャカルタ空港に到着した時、出迎えてくれた女子医大・寄生虫学のH教授は、毎年、熱帯医学の研究のためジャカルタに約1ヶ月滞在していた。教授は毎年、スポンサーであったT建設の支店長の家を定宿としていた。支店長の家には4畳くらいの6室の個室が半円形に配置され、その中央に広間があり、応接セットが配置されていた。6つの個室はゲストルームとして使用されていた。H教授とT建設の支店長の計らいで、私もゲストルームの1室に滞在させていただいた。

 支店長宅には数人の男女のインドネシア人の使用人がいた。賄い夫、運転手、庭の掃除人、室内の掃除夫、料理人、子守りなどであった。見ていると、例えば、庭の掃除が終ると掃除人は他の人の手伝いをしないで休んでいる。運転手が自動車の掃除をしていても見向きもしない。私は“何とさぼり屋”なのだろうと思ったが、インドネシアでは他の人の手伝いはしてはいけないのだと言う。2つの仕事をこなしてしまうと、1人の仕事を奪ってしまうためである。各人が各人に与えられた仕事だけをする方式のようであった。

 ジャカルタの日本人社会は狭いらしく、私がT建設の支配人宅でお世話になっていることを、かなりの日本人は知っていたらしい。ジャカルタ到着後4、5日たったある夜、1人の日本人男性(Fさん)がゲストルームに私を訪ねて来た。彼は「有名な日本のドクターが来ておられると聞いてやってきました。私は4日前にゴルフのプレー中に後頭部にゴルフボールが当たったので診察していただきたい」と来意を告げた。

私は「意識はありましたか? しばらくたってから吐き気や頭痛が起きましたか?」とゴルフボールの当たった時の様子を聞いた。いずれも大丈夫だというので、患部をみたが腫れも圧痛もない。握力も左右で差はない。「もう4日もたっているし、症状もないので大丈夫でしょう。ただ、3、4週間後に症状がでる遅発性脳内血腫がありますが、これも多分大丈夫だと思います。もし、3、4週間後に症状がでたら、ジャカルタ大学の脳神経外科で診てもらって下さい」と注意点を話し、その後、雑談となった。

 Fさんは日本のホテル・オオクラが経営しているサムドラビーチ・ホテルの従業員で、もう3年ほど前から勤務しているという。Fさんは、「この暑いジャカルタで手術をなさっていると体力も消耗するでしょう。私の勤務しているサムドラビーチ・ホテルは海に面した静かな避暑地で、全館冷房設備が完備しています。静養には最適です。ぜひ、この週末、ホテルにおいでください」と誘ってくれた。ちょうどその時、支店長夫人がお茶を運んで来た。夫人は「この週末は、主人も私も空いているので、私たちも子供をつれて、先生のお供をしましょう」と言うので、急にホテル行きが決まった。

【サムドラビーチ・ホテル

 私は、土曜日の午前中の勤務を終えて、午後4時ころゲストハウスに帰り、支店長の運転で、奥さんと坊や、私の4人でホテルに向かった。私は、ジャカルタ郊外の景色の見やすい助手席に座った。1時間くらい走ると、前方に海が見え、ちょうど太陽が海に沈むところであった。赤道に近いためか、真っ赤な大きい太陽が真近くに見えた。太陽は日本で見る2、3倍の大きさで、真っ赤な太陽の色も日本の太陽の赤色よりさらに濃い赤色で、燃えんばかりに輝いていた。その周囲の夕焼け雲も濃い赤だった。あの太陽の燃えるような真っ赤な色は、今でも目をつむると浮かんでくる。実に印象に残る南の国の真っ赤な太陽だった。

 ホテルは7階建ての200人くらい収容できる綺麗な建物で、波打ち際から100mくらい離れた小高い丘陵に建っていた。夕食は日本料理にした。食事中に、ホテルの支配人と奥さんが挨拶に来てくれた。奥さん同士は以前からの仲の良い友人であった。食後、初めてビリヤードで遊んだ。今では全く遊び方のルールを忘れたが、狙った球によく当たり、ホテルの支配人の奥さんも交えて4人で1時間ほど楽しんだ。

【ホテル・スタッフから強い警告

 翌、日曜日は雲1つない晴天で、紺碧のインド洋の沖合には、次々に白く砕ける波が300~400m横一線に連なって、紺と白のコントラストが見飽きぬ美しさであった。砕ける白波は、沖合200~300mにあり、その高さは2mもある“渦巻き”だという。水泳の達人なら白波のところまで泳いで行ってみたいという誘惑に誘われるであろう。しかし、ホテルのスタッフの話では、「高さ2mのこの白波(渦巻き)に巻き込まれた人で助かった人は、今まで1人もいません」ということであった。水泳に自信のある人ほど誘惑に負けて遭難するのだと言う。“先生!! 絶対に海には入って泳がないで下さい”と強くスタッフから注意されていた。

 私は、ゆっくり朝寝坊をし、ブランチ(昼食をかねた遅い朝食)を済ませてから、海岸に近いプールサイドのデッキチェアに寝そべって、インド洋の心地よい風を感じながら、日本から持って来た本を読んだり、うたた寝をして“インドネシアの休日”を楽しんでいた。少し強い風が吹くと、ヤシの葉陰から太陽の光がもれて直接私の顔にあったたが、これも南洋ならではの風情であった。

 海岸には『危険!遊泳禁止』と赤い文字で書かれた3m四方の大きな看板が2カ所に立っていたが、波打ち際には100人くらいの親子連れが遊んで居り、少し大きな波が来ると歓声が起こり、楽しそうな子供達の声が大きく響いていた。私はこの子供たちの楽しそうな歓声を子守り歌にして、うたた寝を楽しんでいた。