私が歌舞伎を見たのは大学3年生の時である。
慈恵医大の先輩が歌舞伎座診療所に勤務していたので、ある日先輩を診療所に訪ねた。それは、歌舞伎を立ち見席で見るためであった。先輩は「今日はウイークデイの昼なのでお客さんが少ない。案内嬢に頼んであげるから空いている席で歌舞伎を見て行きなさい。もし、その席のお客さんが来たら、ほかの席に移りなさい。」と言いながら、2階に案内してくれた。そして、案内嬢に頼んで、空いた席に案内してもらった。案内嬢は「若し、この席のお客様が来られましたら、私がまた参ります。その時はほかの席をご案内致します。」と言って、去って行った。
舞台は世話物と言うのだろうか、江戸時代の古い民家で劇は始まっていた。解説書はなかったので、話はよくは分からなかったが、2幕くらい見て案内嬢にお礼を言って、診療所に向かった。そこで、先輩にお礼を言ってから帰ったが、あまり印象に残る観劇ではなかった。しかし、歌舞伎を見たという1つの箔がついたような感じであった。
【スウェーデンのDr.ビジョルク夫妻を歌舞伎に招待】
つぎに歌舞伎を見たのは、1968年ころ、心臓の新しい人工弁(ビジョルクーシャイリー弁)を開発して有名になったスウェーデンのDr.ビジョルク(Dr.Bと略す)夫妻を歌舞伎座に案内した時である。あらかじめ、歌舞伎が見たいと手紙をもらっていたので、切符を用意した。その演目の1つが娘道成寺であった。その演目をDr.Bに知らせた。彼らはその演目を英語の案内書で調べてきていた。そのころはまだ、イヤホンによる英語の解説は無かったと思う。
この演目は、紀州道成寺に伝わる安珍・清姫の伝説をもとに作られたという。清姫という美しい娘が、熊野詣の若い僧・安珍に恋をし、強引に夫婦になる約束をするが、安珍は修行中の身なので、その約束を破ってしまう。怒った清姫は、蛇の姿になり、道成寺の鐘に身を隠していた安珍を、嫉妬の炎で鐘ごと焼き殺し、自身も息絶える。
舞台は変わって、満開の桜の道成寺。鐘の再興供養がまさに始まろうとしている。そこに美しい白拍子花子(しろびょうし はなこ)が都からやって来て、是非拝ませて欲しいと若い僧たちに頼み込む。しかし、寺は女人禁制なので断るが、舞を舞うからと強引に頼み続ける。僧侶たちも花子の美しさに負けて、承諾する。
花子は金の烏帽子をつけて静かに舞いはじめる。やがて烏帽子をとると、がらりと風情を変えて、女心のさまざまの舞を舞う。手踊り、鞠歌、花笠踊り、さらに羯鼓(かつこ)鈴太鼓を手にしたテンポの速い踊りを舞う。女の一生を踊りで表したというこの踊りは,大変見どころのある踊りであった。
と、突然、花子の形相が変わる。鐘の中に飛び込むと吊ってある鐘が落ちる。花子と見えたのは、実は安珍を鐘ごと焼き殺した清姫の霊であった。鐘を引き上げると女は蛇体になっていた。大勢の僧侶の供養によりその霊が成仏するという物語であった。
物語も分かり易く、劇のテンポも早く、女形の踊りもきれい、蛇体になった花子が2メートル以上もある鐘に登って見得を切る所作など、Dr.B夫妻は大満足、大感激であった。
つぎの演目は世話物で、しばらく見たがDr,Bの要望で歌舞伎座を後にした。
【六本木モンシェルトントンでの夕食】
夕食は六本木のモンシェルトントンにDr.Bを招待した。何が食べたいか希望を聞くと、“天ぷら”といっていたが、日本食では天ぷらなら食べられると解釈した方がよいとある友人から教えられた。欧米人はやっぱり肉のほうが好きなので焼肉にした。
Dr.B夫人にビールにしますか日本酒にしますか聞いたところ、 “both” という答えがかえってきた。これは、よほどアルコールに強い人かと思ったが、彼女は外国に旅行した時に“どちらにしますか?”と聞かれた場合、いつもbothと答えるのだという。2つを自分で試してみないと、どちらが自分に合うか分からないからだという。それを聞いて、私は一理あるなと思った。
シェフが,最初にアワビを焼いてくれた。シェフが夫人にアワビの青色の“きも”を勧めると、臓物はだいきらいと言う意味で、NOといって大きく手を振っていた。
つぎに焼肉が出た。彼らは“日本の焼き肉は美味しい、おいしい”と2人とも満足していた。そして今日の歌舞伎の話で盛り上がった。
【Part2に続く】