第21話 歌舞伎 ~猿之助(2代目)さんの母堂・喜熨斗さんとの出会い 【Part2】

【東京熊高会】

私が女子医大から慈恵医大に帰った1972年ころのことである。一時中断していた東京熊高会(埼玉県立熊谷高校、東京支部)が再興された。私は余り関心がなかったので例会を欠席していた。ところが、3年目に講演の依頼を受けたので出席した。講演の後の懇親会で大勢の先輩、同輩、後輩に会った。懐かしい思い出話が出て楽しい会であった。そのため、次の年から例会に出席するようになった。そのうち、3名の副会長の1人に選ばれた。会長は病弱だったので、ほとんど出席されず、副会長3人と幹事長で会の運営にあたった。1人の副会長は私の1年先輩で、歌舞伎座などを傘下に持つ松竹株式会社副社長のM氏であった。M氏の主導で1年に1度か2度、東京熊高会で歌舞伎の観劇会を開くことになった。解説書、夕食つきの団体割引を利用したので、かなり格安の値段だった。そのため参加者は数十名、出し物(演目)によっては100名近くになり、その半数は奥さん同伴であった。私も妻を連れて、ほとんど毎回参加した。印象に残っている演目と2度見た演目を簡単に説明しよう。

※籠釣瓶(カゴツルベ:本外題;籠釣瓶花街酔醒:カゴツルベサトノエイザイ)

長身の中村吉右衛門が演ずるこの演目を、私は2度観劇した。吉右衛門扮する絹商人の田舎大尽・佐野次郎左衛門は、“あばた顔”の醜男で、生真面目な性格。吉原で遊ぶうちに、吉原一の花魁・八つ橋に一目惚れをしてしまう。金を惜しまず使って通いつめた後、次郎左衛門は八つ橋を身請けしようとする。これを聞いて八つ橋の情夫・栄之助は八つ橋に次郎左衛門との縁を切るように迫る。数人の絹商人の仲間の前で、八つ橋は次郎左衛門に“愛想づかし”(縁切り)を宣言する。次郎左衛門は、じっとこの仕打ちに耐える。

幕は変わって、身辺整理をした次郎左衛門はしばらくぶりに江戸にやってくる。わだかまりのないように振る舞っていた次郎左衛門は、八つ橋と2人だけになると、“この世の別れじゃ”と言って、隠し持っていた名刀「籠釣瓶」で八つ橋を斬り殺すという筋である。

見ていて分かり易い演目であった。

主役は2回とも中村吉右衛門で長身の彼の当たり役なのであろう。

【白波五人男 弁天小僧】

5人の白波(盗賊の異称)が、「志ら浪」と書かれた傘を手にもって、1人1人が次次に、自己紹介をした後、見得を切る場面は歯切れのいい台詞で、見ていて楽しい有名な場面である。

盗賊であった弁天小僧は文金高島田の振り袖姿の武家娘となって浜田屋に現れるが、男と見破られて開き直り『知らざア言ってきかせやしょう。』という台詞(せりふ)はあまりにも有名である。

この演目も2回、いや3回見たかも知れない。

【山門】

天下の大泥棒・石川五右衛門が悪の象徴ともいえる百日鬘(かつら)をつけて、京都・南禅寺の山門の2階の高欄にもたれて煙管で煙草をふかしながら、満開の桜を楽しんでいるところから幕が開く。そこに鷹が手紙を置いて行く。その手紙で、実の父と育ての父を殺したのは真柴久吉(のちの豊臣秀吉)であることを知る。

幕が上から下に振り落とされると、2階に五右衛門、1階に久吉の登場となる。朱色を基調とした山門、その山門をとうして見える満開の桜と山門の裏手にある寺院など絢爛豪華な舞台装置である。ここで、五右衛門の『絶景かな、絶景かな。』の有名な台詞が聞かれる。山門の太い柱には,久吉が書いた『石川の浜の砂(すなご)はつきるとも、世に盗人(ぬすっと)の種はつきまじ。』の久吉の和歌が書かれている。

そして、上と下で2人の男が火花を散る。色彩あふれる大道具,リズミカルな名台詞を楽しむことができる。

私は京都に行くとよく南禅寺を訪れるが、この歌舞伎の舞台を思い出す。

とくに、桜の季節と紅葉の季節が美しい。

【鏡獅子】

新歌舞伎十八番のひとつといわれている。

女小姓弥生が殿の指示により、恥じらいながら優雅な舞を披露する。次第に踊りにのめりこんでゆく。そして、祭壇の獅子頭を手に取ると、獅子の精が乗り移って、豪快な獅子に変身する。1人2役のこの演目は、女形と立役の両方に優れた芸がないとできないし、観客はこの両者を同時に見られるという至福の楽しみを味わうことができる。

※Mさんのお通夜

その後、松竹株式会社副社長のMさんは東京熊高会の2代目会長を務められたが、残念なことに肺がんで亡くなられた。葬儀は築地本願寺で行なわれた。東京熊高会の3代目会長となった私はお通夜に参列した。午後5時ころ到着したのだが、お通夜の参列者は延々長蛇の列であった。3列に並んで、150mか200mも続いていた。お焼香を済ませて帰られる人の中に、多数の有名な俳優、女優、歌舞伎の役者さんを見かけた。私は1人だったが、私の隣は新派の有名な女優さんのMさんだった。1m70cmくらいのすらっとした長身の美人で、その隣は男性の付き人だった。少しハスキーな声で、明日は整形外科学会の依頼で名古屋に行くと話をされていた。お焼香迄には、約1時間あったので、彼女のハスキーな声を聞きながら、少しずつ前進した。私が今迄に参列した最も大きなお通夜だった。

※3代東京熊高会の会長になる

Mさんの後を引き継いで私は3代目の熊高会の会長を4年務めた。引き続き熊高会の歌舞伎鑑賞会は続いていた。私は2度、歌舞伎座の最前列の中央の席で観劇した。初め、最前列は舞台を見上げるようで、首が痛くなるのではないかと心配したが、座って見ると役者の目の動きまでよく見ることができ、最高の座席であった。

2度目の最前列の座席の時は、案内嬢がビニール製の雨合羽を最前列の人たちに配り「滝壺の中で立ち回りが行なわれるので、かなりの“水しぶき”が飛んで来ます。雨合羽を肩から膝までかけて水を防いで下さい。」と言って雨合羽を置いて行った。私と家内は早速、雨合羽で防御した。

幕が開くと、舞台中央の滝から本物の水が、舞台の半分くらいの滝壺に落下する。その滝壺の中で10人くらいの武士の立ち回りが始まった。立ち回りが烈しくなるとかなりの水しぶきの飛沫が客席まで飛んで来た。