第22話 歌舞伎 ~猿之助(2代目)さんの母堂・喜熨斗さんとの出会い 【Part3】

【猿之助(2代目)の母親・喜熨斗さん】

私の印象に残る演目は、まだいくつかあるが、長くなったので、つぎの猿之助さんのお母さんの喜熨斗さんの話に移ろう。

数回、熊高会の観劇会に行き、少し歌舞伎が面白くなったころのことである。ある日、中年の慈恵医大の事務職員のKさんが私を訪ねて来た。彼女は「今日は猿之助さん(2代目)のお母さんの喜熨斗さんのお言付けで参りました。」と来意を告げた。そして、「約1前に先生に手術をして頂いた猿之助一座のある方の回復が良好で、今では仕事に復帰して元気で働いています。これは、先生に手術をして頂いたおかげと感謝しております。そのお礼と言ってはおこがましいのですが、お礼のしるしに猿之助の歌舞伎にご招待したい。」という喜熨斗さんからの申し出であった。

私は「猿之助さんのお母さんというと、あの有名な女優の高杉早苗さんですね。私の中学生時代、大変人気のある女優さんで、私も映画で見たことがあります。」というとKさんは「その高杉さんからの伝言です。」と言った。私は喜んで、その申し出を受け入れた。

Kさんは喜熨斗さんの都合の良い日のスケジュール表を取り出した。私は家内に電話をして都合をきき、手術のない日に合わせて観劇の日を決定した。Kさんは「数日中に切符を持って、再度お伺いします。先生のご来場頂く日は私も歌舞伎座に行き、先生を喜熨斗さんにご紹介いたします。」といって帰られた。

※喜熨斗さんから歌舞伎に招待される。

約束の観劇の日は家内と歌舞伎座の玄関で待ち合わせてロビーに入っていった。すると、何処からともなく、喜熨斗さんとKさんが現れた。Kさんは私たちを喜熨斗さんに紹介した。昔の面影の残る美しい方であった。喜熨斗さんは「今日は大変お忙しいなかをご来場頂きありがとうございました。また、猿之助一座の者を手術して頂き、大変元気で働いて居ります。」と、手術のお礼を言われた後、「一幕が終ると食事になります。先生は“鰻”がお好きだと聞きましたので、鰻をご用意致しました。一幕が終わりましたら、私はここの扉の前で待っております。そして、2階の食堂までご案内致します。ごゆっくりご観劇下さい。」と、案内嬢に私たちを座席に案内するように命じられた。

一幕が終って出て行くと、喜熨斗さんは待っておられ、階段を登って2階の食堂に案内して下さった。まだ、エスカレーターのない時代で、かなりのお年の喜熨斗さんが階段を登られるので私は申し訳ない感じがした。席につくと「先生は鰻がお好きと聞きましたのでうな重にしました。食事時間は30分です。また、ロビーでお待ちしております。」と言って、出て行かれた。食事の鰻は2段の弁当でビールも用意されていた。おいしい鰻だった。

2階からロビーに降りると、どこからか喜熨斗さんが現れ、座席まで案内して下さった。「ごゆっくりご鑑賞下さい。私はこれで失礼させて頂きます。気をつけてお帰り下さい。」と出てゆかれた。至れり尽くせりのご招待なので恐縮した。

その後、年に一度か二度歌舞伎に招待して頂いた。

ある日、私が所用で30分くらい遅れてロビーに入ると直ぐどこからか出て来られ、「奥様は開演前に来られ、お席までご案内いたしました。また、鰻をご用意致しました。一幕が終わりましたら、ご案内いたします。」と言われた。私は案内嬢の懐中電灯で席まで案内してもらった。

※猿之助のスーパー歌舞伎

数度ご招待頂いたころ、猿之助のスーパー歌舞伎の第1作ヤマトタケルが新橋演舞場で上演され、これにもご招待していただいた。スーパー歌舞伎とは、“歌舞伎を超える”を意図し、衣装、音楽、舞台装置、照明からせりふまで現代感覚のテンポで演出された新しい歌舞伎だという。“宙乗り”や“早替わり”など観客の意表をつく手段で壮大・豪華な見せ場や大道具、小道具のトリックを多用している。このため、スーパー歌舞伎は宙乗りなどの舞台装置が優れている新橋演舞場が使われた。

演舞場でも喜熨斗さんは私たちがロビーに入ると何処からともなく現れ、出迎えて下さった。時には猿之助さんの弟の市川段四郎の若い美しい夫人と一緒に出迎えて下さった。また、終演まで待っておられ、喜熨斗さんと私と家内3人で彼女の住んでいた赤坂まで一緒に地下鉄で帰ったこともあった。

スーパー歌舞伎は第1作の「ヤマトタケル」次いで「リュウオー」「八犬伝」などにお招待して頂いた。

「ヤマトタケル」のあらすじは次のようである。帝の第2子小碓命(おうすのみこと)は19歳の武勇に富んだ心優しい青年で、帝の命令に従って九州の熊襲征伐に赴き、熊襲の国を治めていた兄タケルと弟タケルを討ち果たす。兄大碓命の役との早変わり、樽を投げ合って宮殿の壁などを壊す迫力十分の大立ち回りが見物(みもの)であった。熊襲の弟タケルの願いを聞いて小碓命は“大和のタケル”を意味する「ヤマトタケル」を名乗ることになる。

2幕ではヤマトタケルは兄橘姫(えたちばなひめ)と結婚するが、帝の命令により東国征伐に向かう。その途中で神宝“天の村雲の剣”が与えられる。相模の国焼津では国造ヤイラムから火攻めに合うが、村雲の剣で草を薙ぎ払い、逆に火をおこして窮地を逃れる。以後、剣は草薙の剣と呼ばれるようになる。ここで、赤旗を使った敵の武者との格闘やスピード感溢れる野焼きの場面の立ち回りが見物であった。タケルを慕って同行した弟橘姫が海の神を鎮めるため荒れ狂う海に入水してタケルを救うシーンも圧巻であった。

3幕。東国を平定したヤマトタケルは帰途の途中、尾張の国造りの娘みやず姫を妻として迎える。その婚礼の席で帝から伊吹山の山神を征伐せよとの命が下る。タケルは草薙の剣をみやず姫に預けて伊吹山に向かう。タケルが草薙の剣を持って来なかったことを知った山神はタケルを打倒するため全力を傾け、伊吹山に誘い込む。そこに山神の化身である白い大きなイノシシが現れ、タケルと死闘となる。山神は術を用いて大量の雹を降らせ、雹に打たれたタケルは致命傷を負いながらたどり着いた伊勢の国で力尽きて世を去る。志貴の里で盛大な葬儀が行なわれ、タケルと兄橘姫との間に生まれたワカタケルが日嗣の皇子と決まる。そして、誰もいなくなったころ墓から1羽の白鳥が飛び立つ。猿之助扮する白鳥は、全身鳥の羽で作られた長い衣装をつけ、両腕につけた羽を上下に大きく動かし、天空高く飛び立つ。この宙乗りが素晴らしい。場内は拍手喝采、“沢瀉屋(おもだや)”の声が場内あちらこちらから叫ばれる。『天翔る心、それが私だ!!』という美しい声で感動的な幕切れとなる。

※リュウオー・竜王

あらすじは忘れたが、歌舞伎と中国の京劇との共演というか競演であった。京劇は千年の歴史があると言われているが、時々、立ち回りの場面で京劇は猿之助一座を凌駕するような演技をみせた。仏教のお経の途中で鳴らすシンバル(金属製の打楽器)に似た楽器をジャラ・ジャラ・ポンとならすと、京劇の主役の顔が一瞬に変わるのはおもしろかった。

題目は忘れたが、ある日“猿之助下腿骨折。休場か?”と新聞に報じられたことがある。その2日後、観劇に行った。当然、代役による演目の続行と思っていたが、猿之助さんは下腿にギブスを巻いての登場であった。大きな船が舞台からはみ出すように、舳先が観客の直ぐ前に現れ、その舳先の最先端で猿之助さんが見得を切ったときは、会場総立ちのような暖かい拍手がこだました。役者魂を見せられた感じで、私も手が痛くなるほど大きな拍手を送った。

 

~part4へ続く~