【テキサス 心臓病研究所 Texas Heart Institute】
One of the most brilliant surgeonといわれているクーリー教授(Denton Cooly)をテキサス心臓研究所に訪ねた。世界の有名な心臓外科医150人の略歴を調べてみても“最も素晴らしい技術をもつ外科医の1人”といわれているのは彼1人である。彼は身長1m90cmくらいの堂々たる体格の持ち主である。今回、私の訪問は3度目であった。研究所病院は前回訪れた時に比べると2倍くらいの大きさの素晴らしい病院になっていた。手術室も10室以上あり、その日の手術予定は10数例であった。
大動脈弁置換手術など3例見学した後、彼は私を執務室に招き入れた。全手術室のほぼ中央に位置し、20畳くらいの大きな部屋で、中央に大きな執務用のデスクがあり、来客用の椅子も用意されていた。その部屋から全ての手術室の様子がテレビで映し出され、手術の準備や進行状態が手に取るように分かった。コーヒーを入れてもらい10分ほどで次の手術室に移動した。手を洗った彼が着くと人工心肺装置が直ぐ回転し、大動脈を遮断し、そこが切開され、大動脈弁を切除すると彼はその後の大動脈弁置換手術をほかのスタッフに任せて次の手術室に移って行った。このように時々手を抜かないと10数例を1人で全部手術するのは不可能であろう。
私はこれより数年前にクーリー教授を1人で尋ねたことがあった。その頃は見学者も少なかったし、5日間滞在したので彼と親しくなった。医局でスタッフと雑談していると彼の回診に誘われた。彼は個室をノックして入ると直ぐ患者に私を紹介し了解を得てから診察を始めた。X線写真、心電図などを見た後、どんな手術をしたのかなど説明してくれた。10部屋くらい回診したのち、彼は突然「Dr.Arai ! ベースボールは好きか?」「大好きです」と答えると、胸のポケットから2枚のチケットを取り出し「今夜、観戦して来なさい」と渡してくれた。
【錆だらけのオンボロ自動車】
野球場の場所を知らないので困っていると、一緒に回診したチーフレジデントが「私の車はオンボロですが、それで良ければ球場まで案内します」と誘ってくれた。たくさんの高級車の間を通り抜けて行くと、塗装が全部剥げてほとんどが錆びている車の所で彼は止まった。運転席の戸は直ぐ空いたが助手席のドアは足を掛けて引っ張ってようやく開いた。中に入っても錆びた金属のドアである。こんなオンボロ車は日本では車検に通らない。クーラーのないこの車はそれでも順調に走って暑い球場の玄関に着いた。後で聞いた話だが、チーフレジデントになるのは大変な努力と忍耐が必要だという。初めに10数人のレジデントが採用され、年々振るいにかけられて2、3人が脱落し、6年目にチーフレジデントになるのは1人だけである。才能、努力、人柄、業績が認められて、その栄冠を勝ち取るのだという。この期間は薄給で、誰もが貧乏にあまんじている。しかし、他の病院に就職すると驚くほどの高給取りになるのだという。 “若い時の苦労は買ってでも(苦労)しろ”という格言がある。若い時に苦労すればするほど、その人の成長と人間形成に役立つというのであろう。
【MLBベースボールを初観戦】
野球観戦に話を戻そう。暑い日だったので、野外野球場での観戦はさぞ暑くて大変だと思いながら、球場に入って行った。チケットを渡して中に入ると、そよ風が吹いてくる。Astrodomeというこの野球場は屋根つきで全館冷房なのに気付き、私はびっくり仰天した。当時の日本では全館冷房の病院はなく、ましてドームの野球場など考えられぬ時代であった。指定席はベースの真後ろで前から5列目の一番見やすい席であった。席に着いた頃、主審が客席の方を向いて怒りをあらわにして怒鳴っている光景にぶっつかった。お客が主審のジャッジが不満でやじったのが原因だったが、後にも先にもこのような珍しい光景にぶっつかったことはない。試合はHouston AstorosがNew York Mets に勝った。翌朝クーリーに報告すると指を鳴らして喜んで「Houstonは強いだろう」と自慢していたが、新聞で見ると下から2、3番目であった。彼は年間シートを持っているくらいだから、大のベースボールフアンなのであろう。私は思いもよらず本場MLBのベースボールを全館冷房の中で楽しく初観戦した。
【親切なボランティアの婦人】
その翌日、手術の見学後、ダウンタウンのホテル行きバスをベンチに座って待っていると、緑と黄色のストライプのボランティアの服を着た60代後半と思われる感じのよい婦人が近づいて来て隣に座った。彼女は私に向かって分かりやすい英語で親切に尋ねた。「何処から来たのですか」「何の目的ですか」などと尋ねた後、「クーリーの手術は上手か」「クーリーは親切な人か」などを質問した。私はクーリー教授の手術は世界で一番上手だろう。そして、毎日親切にして頂いている。昨夜は野球のチケットをもらい、初めてアメリカの野球を観戦したことなどを話した。丁度バスが来たので立ち上がると彼女は手をのばして握手をし「実は私はクーリーの伯母なのです。彼を褒めて下さって有り難う」とニッコリ笑って去って行った。バスの中で私は、人と人はどこでどうつながっているか分からない。他人に誰かの悪口を言ったり、中傷したりしないように心掛けようと心に決めた。
テキサス心臓病研究所では1日の手術見学であったが、brilliantな心臓外科医Dr.クーリーの手術を10例以上見学することができ、団員は手術見学を十分堪能したであろう。私たちはクーリー教授にお礼を言ってこの病院を後にした。
【メキシコ国立心臓病研究所 Instituto Nacionale de Cardiologia (Mexico City)】
Mexico Cityの空港に着くと「ここはかなりの高地です。走ってはいけません。出来るだけゆっくり歩いて下さい」と添乗員に注意された。
国立心臓病研究所を訪ねたのは、私の友人だった順天堂大学出身のDr.Oがこの病院のスタッフとして働いていたからである。この研究所病院は以前来た時より大きく立派になっていた。早朝から5つの手術室でほぼ同時に手術が開始され、自由に手術を見学することができた。1つの手術室は周囲の電灯を全て消して無影灯だけの光で手術していた。術者はこの方が集中できると言っていた。術者の技術はほぼ私たちと同じレベルであった。
【巨大な壁画の中の日本人】
手術終了後、玄関のロビーに出ると高さ7~8m,横4mくらいの壁画が左側と右側に飾られていた。Dr.Oの説明によると、第1壁画はメキシコの代表的画家ヂエゴ・リベラの描いた壁画で、血液循環の原理を発見したハーベーを初め30人くらいの心臓の研究に貢献した世界の医学者が描かれている。Dr.Oが団員に「この絵の中に日本人が1人います。誰だが知っていますか?どこにその方は描かれていますか?」と質問した。そして答えてくれた。「その方は“田原の結節”を発見した田原淳先生です。田原先生はドイツのアショフ(Ludwig Aschoff)に師事し、心臓の刺激伝導系に重要な役割をもつ田原の結節を発見しました。これは偉大な業績です。最近は田原の結節と呼ぶ人はなくなり房室結節(A-V node)と呼ばれています。何処にいるか分かりますか?かなり高い所にやや横顔で眼鏡をかけ,ほとんど後ろ向きで黒い髪の毛の人です。向き合って顔がはっきりしている方がアショフ先生です。どうして後ろ向きで眼鏡を掛けているかというと田原先生の顔写真が手に入らず、日本人だから眼鏡を掛け黒い髪の毛にしたようです。田原先生は若い時から口髭を蓄えられた美男子で実際は眼鏡を掛けていません」と説明してくれた。
私たちはDr.Oにお礼の挨拶をして、翌日はメキシコ最大の海辺の避暑地アカプルコでメキシコの夏を1日楽しみ、一路東京へと向かった。
■心臓学に寄与した人々/ディエゴ・リヴェラ作(メキシコ国立心臓研究所所蔵)
※白い丸で囲まれているのが田原淳(たはらすなお)先生