第65話 —世界的ポップス・グループABBA(アバ)についての物語—【part1】

Part 1  ABBAのダンスイング・クイーンがスエーデン王妃におこした奇跡

2021の夏のことである。夕飯を終えて夕刊を読んでいた私の耳に、テレビでABBAのダンスイング・クイーンの曲がバックグランド・ミュジックのような、音を一つ抑えた感じの曲が耳に入って来ました。直ぐ夕刊のテレビ欄をみると、NHKの『ABBAの“ダンスイング・クイーン”と王妃の知られざる物語』というドキュメンタリーであることが分かりました。
息子と私にはABBAには共通の思い出があるので、直ぐ電話をしました。息子は「今、電車の中。会議が遅くなったので、家に帰ってから見ます。」そこで私はテレビに集中しました。

その概要は次の如くです。
1972年にミュンヘン・オリンピックが開催された開会式に、スエーデンのグスタフ皇太子(後のカール16世グスタフ国王)は参列しました。その開会式で、グスタフはコンパニオンをしていたシルビア嬢と知り合います。そして2人は恋に落ちました。グスタフがシルヴィア嬢に一目惚れであったと言われています。シルヴィア嬢は生まれながらの美貌で、皇太子の心を鷲掴みにしてしまったのです。それまでの皇太子はモデルや女優と浮き名を流すプレーボーイとして知られていました。

シルビア嬢は1943年12月23日にドイツ人の父とブラジル人の母の間に生まれ、4歳の時から家族とサンパウロで過ごしました。その後、ドイツのデユッセルドルフの高校を卒業し、先ずスペイン語を学び、次いでポルトガル語、英語、フランス語、を流暢に話せるようになり、これを活かして通訳や国際的なイベントでコンパニオンとして活躍するようになりました。

当時、皇太子だったグスタフに見初められましたが、なかなか婚約には至りませんでした。その理由は、シルヴィアが貴族出身ではなくドイツの平民の娘で、2歳年上でもあり、練習していたスエーデン語も上手く話せません。また、父親が戦時中ナチス党員であったことも支障の原因でした。このような周囲からの猛反対、国民からの反対など幾多の困難を乗り越えて、見初められてから4年後にようやく婚約が決まり、1976年6月18日に結婚式が決まりました。この時、グスタフは既にスエーデン王(即位1973、9、19)に即位しています。

その前夜、王室オペラ座でお祝いの記念コンサート(前夜祭)が行なわれました。スエーデン国営テレビ局でも放映されました。
ロイヤルボックスには前国王と前王妃、グスタフスエーデン国王と翌日スエーデン王妃になるシルビアの4人が座っていました。前述の3人は笑顔でしたが、シルビアだけは緊張の極のような硬い、こわばった表情が続いていました。これは国内でも結婚にはまだ反対の声があり、この時に至っても、彼女は結婚にはかなりナーバスになっていました。

演奏会ではスエーデンの一流の男・女の歌手が恋の歌、結婚の歌など歌劇の歌をオーケストラをバックに歌っていました。聴衆は割れんばかりの喝采を送っていましたが、シルビアの硬い、こわばった表情はずっと続いていました。
その時突然クラシカルな衣装に身を包んだABBA(スエーデン人で2人の女性がボーカル、1人の男性がビアノ、1人の男性がエレキギター。計4人のポップス・グループ。詳細は後に記述する。)が登場し、ピアノのグリツサンド(ピアノの鍵盤上を高音から低音に向かって指で滑らせるような演奏法)で始まり、空高く舞い上がるようなハーモニーの『ダンスイング・クイーン』を歌い始めました。するとロイヤル・ボックスで聞いていた女性の顔がみるみる変わって行きました。硬い表情がニコニコとした表情に変わって行ったのです。まさに “奇跡” と言ってもいい瞬間でした。その女性は皆さんもお気づきと思いますが、翌日王妃になるシルビア嬢でした。まさにリアル・クイーンです。

当時、ABBAは、まだ人気絶頂というわけではありませんでしたが、前夜祭の女性演出家アン・マルグレート・ペッテルソンが、王室に新風を吹き込み、新女王へのエールとして、ポップス・グループであるABBAを抜擢しました。ABBAもその抜擢に応え、未発表のダンスイング・クイーンを『シルビア王妃に捧げる歌』として、この席で初めて公開しました。
この女性演出家の計画は見事に的中し、シルビアの心をとらえ、硬い表情から一気にニコやかな表情に変わっていったのです。

翌日、ストックホルムの大聖堂で、グスタフ国王、シルビア王妃の結婚式が行なわれました。王妃はクリスチャンディオールの真っ白なウエディングドレスをまとい、テイハラはベルギー国王であるレオポルド3世が、娘であるジョセヒーヌ・シャルロットにプレゼントしたもので、シンプルな中にエレガントさを兼ね備え 「さすが王室の結婚式」と感じられる式だったそうです。

その後、シルビア王妃の明るい人格、何事にも屈しない素質は次第に国民にも受け入れられ、3人の子宝にも恵まれました。シルビアは自分を飾ることもなく、ありのままの生活をメデイアに晒し、王室のイメージを親しみ易いものへと変えて行きました。そして結婚から17年、50歳の誕生日を迎えた時、王室オペラ座で祝賀セレモニーが開かれ(1993年)、シルビアはあの日と同じ席につきました。リクエストしたのは勿論、ABBAの「ダンシング・クイーン」でした。最近では慈母のごとく国民から慕われるようになり、現在は高い人気を誇る王妃となっておられます。

お願い (インターネットでyou tube ABBAダンスイング・クイーンと検索すると、直ぐ曲がながれます。楽しい曲です。少しメランコリーであっても元気がでる曲です。1度聞いてみて下さい。)