第66話 —世界的ポップス・グループABBA(アバ)についての物語—【part2】

Part 2  1980年日本武道館でABBAの公演を聴く

前回、息子と私にはABBAに対して共通の思い出があると書いたが、それは1980年3月18日に、日本武道館でABBAの公演を聴いたことである。
1980年3月にABBAの日本最初の公演があると、新聞やテレビで大々的に宣伝された。中学生であった息子は是非聴きたいので、切符を買って来て欲しいと母親に頼んだ。切符売り出しの初日は家内によると小雪の降っていた日だという。息子可愛さに家内は新宿に行って娘と息子のために2枚前売券を賈ってきた。息子は大層な喜びようであった。
公演当日、娘は何かの用事で公演を聴きに行くことが出来なくなった。そのため、娘の代わりに私が武道館に行くことになった。
駅から1万5千人を収容する武道館まで延々長蛇の列である。ようやく2階左側の最前列の指定席に着いたのは開演15分前くらいであった。舞台の直ぐ上で、舞台を見下ろすのに絶好の位置であった。


ABBAの公演は日本武道館で3回、大阪2回、名古屋、福岡、仙台、札幌など、日本公演は全部で12回行われた。

ABBAの演奏は、定刻に先ず序奏(intro)から始まった。
次いでVoulez—Vous。 If it wasn’t for The Night。 As Good as New。 Knowing me, knowing you・・・と続いた。
舞台の一番前面には2人女性のボーカリスト、その2〜3メートル後ろに、向かって左にギターリスト、右にピアニスト(椅子に座って、或は椅子に座らないで中腰、前かがみでピアノを弾き、片足でリズムをとっていた)この4人がABBAで、その後ろにDram,  Bass,  Guitar 2,  Percussion(打楽器)1,  Keyboard 1,  Vocal 3人が、扇状(半円型)に並んでいる。この人達はABBAの助っ人としてスエーデンから来たのであろう。(You tubeでABBAの演奏を見ると、10人くらいの女性合唱、あるいは10人くらいのバイオリン演奏などが助っ人として入っていることがある。演奏会場の広さや演奏する国などで異なるのであろう。)

序奏が始まると、拍手と共に全員が立ち上がった。そして、曲に合わせて腰や肩でリズムをとっている。タップダンスのように床を足で叩く人いない。雑音になるからである。

私は “こんな おじさんが立ち上がってリズムを取るのはおかしい、少し恥ずかしい” と思い座って聴いていた。しかし、広い会場を見渡すと聴衆は誰一人座っていない。そこで2曲目から私も立ち上がった。立ち上がると自然に腰や肩でリズムをとっている自分を発見した。こんな経験は初めてである。周囲の人達も他人の邪魔をしないように、自分の席の中で音を立てないように肩や腰でリズムをとっている。

ABBAの2人の女性ボーカリストは、1人の髪は茶褐色、1人は黄金色で肩にかかるくらいの髪で、2人ともスエーデン美人であった。聴衆の方を向いて歌っているが、時々2人が顔を見合わるように、対面で歌ったり、たまに右手を水平に挙げて人差し指で聴衆の方を指差したりしながら “綺麗な、胸がときめくようなハーモニー”で歌っていた。指でさされた方向の聴衆は自分が指されたように思い、鼓動が強くなったではないだろうか?

ここで気が付いたのだが、聴衆席の最前列中央の座席の20歳前後の2人のお嬢さんが、ローソクのような型をして白色に輝く ペンライト(大晦日のNHK紅白歌合戦の時、聴衆が白色光の30センチメートルくらいのケミカルライトをリズムに合わせて振っているが、丁度それと同じようなライトである)を片手に持って、音楽のリズムに合わせて、2〜3メートルある座席と舞台の下を利用して踊っている。
ディスコに私は行ったことは無いが、テレビで見るディスコのお立ち台の女性のように(ディスコの女性のような派手な服装ではなく、きちっとした服装で)ABBAのリズムに合わせて、1本のペンライト(ケミカルライト)を片手で高くかかげて、舞台にいるABBAのボーカリストの真下で、品よく踊っているのが、ABBAと一体となって私の目に入ってきた。この2人が聴衆を心地よくリードしているようにさえ思われた。2人は聴衆席の最前列の中央の席だから、この席を入手するのは、普通の人では不可能であろう。2人はABBAをプロモートした会社か、ABBAに関連のある会社に関係のある女性、あるいはプロの女性であろうと私は思った。1曲1曲ペンライトの動きも、彼女の踊りも変わるのである。

聴衆はABBAの演奏に酔いしれている感じであった。
丁度1時間くらい立った時に数分のinterviewが入った。ABBAと聴衆を少し休ませる配慮と思われた。
次いで予定されていた22曲が全て演奏され、Encoreになった。ピアノの鍵盤を指で滑らせるようなグリッサンドが響くと、聴衆の拍手と歓声が起った。聴衆が待ちわびていたダンスイング・クイーンである。 
ピアノのグリッサンドに続いて、天高く舞い上がるような楽器とボーカリストのハーモニーが最高の演奏(パフォーマンス)であった。
そして、この曲が終ると、全曲が終わり舞台は薄暗くなり、観客席は明るくなった。観客の大きな拍手と共に、演奏会は終った。

武道館での演奏会の雰囲気を書こうと思い、あの時を思い出しながら書いたが、

私の “筆力”では、到底書けるものではなかった。
誠に申し訳ないが、皆様にはYou TubでABBAの曲を聴きながら、日本武道館での雰囲気を感じて頂きたいとお願いする。

もう一つ思い出がある。
それは、息子が日本のM銀行香港支店に勤務していた時である。
暮れも近いある日、新宿の小田急デパートの広い書店で私は何かの本を買って、出入り口を出ると、左側にレコード店があった。何気無しにその店に入った。そこで、急に“ABBAのCD”を香港の息子のお土産にしようと思いついた。ABBAは1998年に解散したので20年以上立っているグループである。もうABBAのCDは無いかもしれないと思ったが、探すとABBAの2枚のCDが見つかった。裏面の曲目を調べてみると、3、4曲は同じであったが、他の20曲くらいは異なるので2枚買った。

暮れの香港は、20階あるいはそれ以上ある高い多数のビルヂングが、それぞれ趣向をこらしたクリスマスのデコレーションで屋上から1階まで飾られている。香港島の対岸にあるカオルン半島から香港島を見るのが、最も美しい。特に夜は各ビルがライトアップするので見飽きない楽しさがある。
また、元日には私と家内がいつも泊るホテルの隣のホテルには、日本の“灘万”の支店があり、予約しておくと煮物、栗きんとん、数の子、ごまめなどのおせち料理と餅の入った雑煮が食べられる。
私と家内は息子の香港勤務中の数年間、年に3、4回香港を訪れた。息子たちは夕食には美味しい中華料理の店を予約しておいてくれた。
到達した日の夕食の時に、私は“ABBAのCD ” 2枚を息子にお土産だと言って渡した。彼は大変喜んで、ABBAの話で盛り上がった。特に1980年の日本武道館でのABBAの演奏会の模様で盛り上がった。勿論、ケミカル・ライトを持って踊っていた2人のお嬢さんのことも話題に上った。

“武道館でABBAの演奏”を聞いたことと、“ABBAのCD”を息子にお土産にしたこと。この2つが私と息子のABBAに対する共通の思い出である。

参考文献  
1)ABBA日本武道館(東京都)(1980・03・13)  

2)アバ1980年 日本公演 3月13日 東京武道館 。インターネット