第9話 G軍V9に貢献した左のエースT投手【part1】

【左のエース T投手】

 がっちりした、身長の高い方が私の診察室に入って来た。顔を見てすぐにG球団のT左腕投手であることが分かった。私はT投手のマウンドさばきと投球ホーム、あの打者の胸元をえぐるような速球が大好きだった。いつも謙虚で真面目な性質がマウンド上の態度によく現れていた。

 T投手、いや、この時は、おしまれながら選手を引退し、パ・リーグのN球団の投手コーチに就任したばかりの年であった。ここではTコーチと呼ぼう。コーチはやおらH医大内科からの紹介状とレントゲン写真、心電図、心エコー、大動脈造影写真など検査結果を入れた厚い袋を私に手渡した。「先方の病院では,検査の結果“ヴァルザルバ動脈瘤の右室破裂 ”と診断され、手術の適応があると言われました。そして、慈恵医大の新井先生に手術をして頂きなさいと、この袋を渡されました。」

 袋を開いて検査所見を丹念に調べると、ヴァルザルバ洞動脈瘤の右室破裂に間違いなかった。私は「先方の病院の診断通りヴァルザルバ洞動脈瘤の右室破裂ですね。いつから症状がでましたか?動脈瘤が破裂した時、異常を感じましたか?現在はどんな症状がありますか?」などをまず問診した。続けて「手術の適応があります。手術の危険は交通事故くらいはあると覚悟して下さい。決心がついたら手術しましょう。」と言うと、コーチは奥さんの方を見て、目で相談した。その後二人は「決心は出来ていますから手術をお願いします。」と頭を下げた。どうしてか、G軍のKスカウトが心配そうに同席していた。

【2週間以内に退院したい】

 コーチは「一つお願いがあります。」と言って、卓上カレンダーを取り出した。予定がいっぱいつまっていた。「この日からこの日までは合宿が入っています。ここからここまでが丁度2週間休みです。2週間の休みはこれだけで、あとは3日から6日です。そこで、この2週間の間に手術をし、14日目より前に退院させて下さい。そうすれば、翌日から合宿に参加することができます。よろしくお願いします。」と言って頭をさげた。この当時は軽い心臓手術の症例でも、通常、手術後1ヶ月は入院させ、少し重い症例は1ヶ月半から2ヶ月入院させていた。現在のように、かなり重症の患者でも術後1〜2週間以内に退院させるシステムとは大きく異なっていた。

 それより、普通、心臓の手術後は1ヶ月か1ヶ月半くらい休養の診断書を欲しがる患者さんが多い時代であった。それなのに、術後2週間で合宿への参加を希望するとは何と責任感の強い,律儀な人かと驚いた。驚いたというより“あっけに取られた。あきれた。”という感じだった。私は「H医大の検査結果が2、3ヶ月前なので、合宿の合間の休みの日に来て頂き、もう一度必要な検査をしましょう。そして、2週間の休みの前日に入院して頂いて、検査結果その他に異常がなければ、翌日手術をしましょう。運動選手なので体力もあるから、順調にいけば2週間で退院出来るでしょう。しかし、何か余病を併発すると、それより長くなることは覚悟しておいてください。」と話した

【ヴァルザルバ動脈瘤の破裂】

 
 ここでヴァルザルバ洞動脈瘤の右室破裂について簡単に説明しよう。(右図) 大動脈が左心室から起始した根元から10mmくらい上部まで半楕円形の外側への膨らみ(上着の胸ポケットにハンカチを詰め込んだような膨らみ)をヴァルザルバ洞(ヴァ洞と略す)という。原因はよく分からないが、このヴァ洞の外側の大動脈壁が示指頭大の風船のように右心室か右心房に突出して膨み、この風船が右心室か右心房に破烈することがある。20歳を過ぎてから発症することが多い。右心室に破裂する症例の約半数に心室中隔欠損を合併する。破裂するまでは何の症状のないことが多いが、破裂した途端に,狭心痛や呼吸困難を起こす症例が約半数にみられる。Tコーチは運動時に軽い呼吸困難が起こり、近医に受診して、強い異常な心雑音が聴取され、H医大を紹介されたという。

【11日で退院】

 Tコーチは約束の日に入院した。慈恵医大の血液検査の結果も異常が無かったので、翌日手術を行なった。手術は人工心肺装置を用いて、体外循環下に右心室を切開した。破裂したヴァ洞動脈瘤は中指頭大とやや大きかった。心室中隔欠損は無かったので、破裂した風船状の動脈瘤を切除すると、そこに10mmくらいの破裂孔が認められた。そこで、この破裂孔に直径約13mmのテフロン・パッチを12針くらいかけて縫着した。次に右心室の切開創を閉鎖して手術を終了した。術後の経過は順調であった。

 ICUにいる時には気がつかなかったが、一般病棟に移ってから回診に行くと、Tコーチが体を斜めにしてベッドに寝ているのに気がついた。まっすぐに寝ると身長が高いためにベッドの枠に足がつかえるためであった。それでも一方の足の踵が少しベッドからはみ出していた。私は「ここにはあなたのように背の高い人用のベッドがありません。申し訳ありません。我慢して下さい。」とお詫びした。「大丈夫です。心配しないで下さい。」と笑顔がかえってきた。

 経過は極めて順調で、術後3日目にはトイレに行けるまで回復した。1週間目に回診に行くと、ベッドに坐って所在なげにしていた。この頃、G軍のKスカウトが時々お見舞いに来ていた。Kスカウトは初診時にも来ていた。今、TコーチはN球団なのにG軍のKスカウトが何回も見舞い来られるのは何故だろう?また、Kスカウトが心配して私にコーチの病状を何回も聞きに来られるのは何故だろう?と私は不思議に思っていた。その訳はTコーチが術後、定期的に診察のため来院した時の話で分かった。このことは後述する。

 1週間後も,コーチの一般状態は良好で、検査結果も異常がないので、11日目に退院を許可した。コーチと奥さんは大変喜んで退院した。

 約1ヶ月後に診察のため来院した。

 Tコーチ 「お陰で、合宿初日から参加できました。皆に驚かれるくらい元気です。」   

 新井   「駆け足をしたり、全力投球はしなかったのでしょうね?」

 Tコーチ 「初めは、手振り、身振りと口で指導しました。1週間もすると軽い駆け足も出来ました。」

 新井   「それは良かったですね。しかし、無理はしないでください。」と忠告した。

 その後、コーチは3〜6ヶ月おきに来院し、私たちは10分くらい雑談をした。その雑談からは、色々なことがわかった。