【破裂した人工心肺回路】
その日の応援は、恩師榊原仟先生、麻酔科教授、人工心肺担当医、それに私という豪華メンバーであった。手術は甲府の病院での僧帽弁疾患に対する人工弁置換の第一例目であった。もしかすると患者さんは甲府のVIPの方だったかも知れない。
榊原先生の執刀、私が前立ち(第1助手)、I部長と病院スタッフが第2、第3助手を務めた。胸骨が切開され、心臓が露出され、人工心肺装置が装着された。人工弁置換の第1例目であり、榊原先生執刀ということでスッタッフ全員、過緊張状態であった。
ここで、人工心肺とその回路を簡単に説明しよう。全身から心臓に戻ってくる静脈血を上・下大静脈に挿入した“脱血管(チューブ)”で、落差を利用して人工肺に導き、ここで静脈血に酸素を付加して酸素化血(動脈血)にする。この酸素化血をチューブによりローラーポンプに導き、ポンプの力で80〜100mmHgくらいの圧をかけて“送血管”により股動脈(大動脈)から全身に送血する。チューブはポリウレタンを用いるが、ローラーポンプのところは肉厚のゴムのチューブを用いる。これは弾力のあるゴムのチューブをポンプが扱(シゴ)いて圧力をかけ酸素化血を動脈に送血する方式である。(図参照)
修復して再び回転した人工心肺は、「人工心肺回転」の命令とともに、鉗子でクランプしてある2カ所の鉗子を外した。このことを確かめると同時に回転を始めた。今度は順調に回転し、人工弁による僧帽弁置換手術も順調に終った。
しかし、I部長はさぞ“肝を冷やした”ことだろう。
【私の反省】
これは私の反省である。
人工心肺装置回路の図のaとbは,最初、回路に充填してある血液が流れ出さないように鉗子でクランプしておく。『人工心肺回転』の命令と同時に、鉗子を外して、回路に血液が流れるようにする。
図bの鉗子を外すのは通常第3助手の役割である。しかし、第3助手は若い外科医で経験も浅い。この時の第3助手はK病院の外科医だったから榊原先生と一緒に手術するのは、多分初めてであったろう。彼は過緊張状態にあったと思う。それを配慮して、私が彼に「鉗子を外したか?」と声をかけるか、あるいは、すぐ側に立っていたのだから、私自身で鉗子が外れているか否か確かめれば、回路が破裂するという大事故にはならなかった。きっと彼はこの事故の後に落ち込んだと思う。今思うと可愛そうなことをした。それ以来、私は第3助手に声をかけるか、鉗子が外れているか否か確かめるようにした。
私の知っている範囲で、回路の破裂という事故は、女子医大心研でも1例ある。また、回路のゴムの部分が風船のように膨らんだのを人工心肺担当医が気づき、人工心肺の回転を中止するとともに、送血部の回路の鉗子を外して破裂をまぬがれたことがあった。
この事件から2、3年後に股動脈への送血は,腹部大動脈の解離などの合併症が稀に起こることがあるという報告が散見されたので、上行大動脈への送血に変更された。この方法だと、鉗子を外すのは、執刀者か第1助手なので、外し忘れは全くなくなった。現在、一般的に上行大動脈送血が行なわれている。
その後も私は2〜3ヶ月に1度手術の手伝いに参上した。このころから、I部長に執刀医になってもらい、私は彼の前立ちをして指導した。I部長はみるみる手術が上達し、腕を上げて行った。
数年後に鉄筋コンクリート造りの新病院が駅から車で30分くらいの所に新設された。ここの病院は手術室を含めて全てが近代的であった。診断装置、モニターなども最新式のものが設備された。ここに私は2度手伝いに行ったが、あの古い机の上の駄菓子と私の好きなおいしいお茶を出してもらえなかったのが寂しかった。
今、この病院は手術数、手術成績とも優れ、現在、山梨県では1、2の心臓外科に発展している。
【おしらせ】
この度、新井達太先生のコラムが一冊の本となりました。
これまでコラムとして掲載していた話や新たな書き下ろしも加え、
新井先生のコラムが「この道を喜び歩む」として一冊の単行本なりました。ぜひご一読下さい.。
コラム編集室