第17話 仁丹 【part1】

【ロンドン2階建てバス(キャンディー入れ)に化けた“仁丹”】

 1985年(昭和60年)ころのことである。ハンガリーの首都ブタペストで心臓外科関係の学会が開かれるため、K大学K教授を団長とする旅行団が組織された。そこで、私と家内はこの旅行団に参加した。総勢10数人であった。

 旅行予定はベネチア ー ミラノ ー グルンデルワルド ー ユングフラウ観光 —— ブタペストに入る約10日間の旅であった。

 私と家内はその学会が終ると直ぐ、この旅行団と別れて、ロンドンに行った。

 ロンドンでは中心街に近いメトロポリタン・ホテルに宿泊した。ピカデリー・サーカスにも近い便利のよい、広い道路に面した細長いホテルであった。その日の夕食は、暫く食べていなかった中華料理にすることにした。コンセルジュに評判のいい中華店を予約してもらい、中華街までの道順が分からないので、行きはロンドン・タクシーを使った。予約した店は10分もかからない距離にあった。数十人は入れる店で、ほとんど満席であった.私はビールの中瓶を注文した後、3〜4種類の中華を注文した。“ロンドンの中華は横浜の中華街よりおいしい”という旅行ガイドブックを読んだことがあるが、まあ、そこそこに美味しい中華だった.私たちは満腹になり、満ち足りた感じで.ホテルまでは歩いても3〜40分なので散歩がてら歩いて帰ることにした。

 ピカデリー・サーカスに近い横道にはお土産屋さんが並んでいた。何を買う目的もなく1軒のお土産屋に入った。親娘と思われる60代と30代の女性が店番をしていた。ブリキで作った色彩が派手なロンドンタワー、二階建てバス、ロンドンタクシーや箱詰めのクッキー、キャラメル、チョコレートなどなどが所狭しと陳列してあった。

 入り口の近くに大きなガラスケースに入った、背丈12〜3センチメートルの英国の衛兵が30体くらいきれいに並べられ、バッキンガム宮殿の前の広場で、衛兵交代をしているように並べられていた。私はこの衛兵を10体くらい賈って帰り、時々並べ替えたら楽しいだろうなと思いながら衛兵を眺めていた。

 そのころ私は口が寂しくなったり、仕事が少し飽きたりした時に、“仁丹”をよくなめていた。衛兵を眺めながら、紙製のケースに入った仁丹を5、6粒手のひらに出して、放り込むように口に入れた。しばらくすると、売り場の台の向こう側に居たお嬢さんの店員が“それを私にも下さい”と手を出した。私は紙のケースから彼女の手のひらに5、6粒の仁丹を載せた。彼女は私がやったように仁丹を口の中に放り込んだ。暫く見ていると、何と言うのか、摩訶不思議な顔をした。そうだろう!仁丹は漢方薬のような味で、漢方薬を少し飲みやすくして、舌に刺激を与える成分がある丸薬だから、初めて嘗めたら不思議な味がする。

 離れた所にいて、それを見ていた母親が近づいて来て、「私にも下さい」と手を出した。私は、また5、6粒手のひらに載せた。彼女は指でつまんで1粒1粒口に入れた。暫くすると、母親も不思議そうな顔をしてから、ウインクするように私に微笑みかけた。彼女も初めて嘗めた東洋の味をどう感じたのだろう!?

 家内は2箱クッキーを買い、私たちは店を出ようとした。すると、母親が“少し待って下さい”と言って、何かを新聞紙でくるくると包んで、私に手渡した.日本のように奇麗な包装紙に包むのではなく、また、奇麗な袋に入れるのでもない。新聞包みは長さ20センチメートル、縦横5、6センチの箱のような品物であった。

 私たちは「今日は中華もおいしかったし、お土産屋の親子とも楽しい交流ができたね」などと、うきうきした楽しさで、ピカデリーサーカスを回るように散歩してからホテルに帰った。ロンドンの楽しい1日目の夜であった.

 部屋で新聞紙を開けて見ると、10粒の仁丹は、なんと“2階建ての真っ赤なロンドンバス”に化けていた。バスの屋根を開けると一杯キヤンデーが入っていた。私たちは、お土産屋の親子との楽しい交流と親切を楽しく思い出しながら、感謝してキヤンデーを頬ばった。

 

(part2へ続く)