第51話 —Donald Nixon Ross— 【part4】

Ross手術  (Ross procedure) 

 

Ross手術とは、大動脈弁弁膜症(弁狭窄や弁閉鎖不全)を対象とする手術である。一般に大動脈弁弁膜症に対しては、機能不全の大動脈弁を切除した後、人工弁(機械弁or生体弁)を移植(置換)する手術が行われるが、Ross手術は大動脈弁を切除した後、患者の肺動脈弁を切除した患者の大動脈弁のかわりに移植する手術である。

次にもう少し詳細に手術方法を紹介しよう。興味のない方は『   』を利点・欠点のところまで飛ばしてお読み下さい。
『図a :肺動脈と肺動脈弁下の右心室、及び大動脈の切開線を示す。
 
図b :患者の自己肺動脈を切離し、自己肺動脈弁を含んだ右心室を数ミリ切離し弁付きグラフとする。(向かって右側)。大動脈弁尖切離後、左・右冠状動脈の大動脈をボタン状に切離する。(向かって左側)。その後、ヴァルザルバ洞とその周辺の不用な大動脈壁を切除する。
 
図c :切離しておいた自己弁つき肺動脈グラフトを大動脈の基部、ついで大動脈を切離した末端に縫着する。次いで、左右冠状動脈を大動脈に縫着する。(向かって左側)。欠損している右室流出路(自己肺動脈グラフトを切離した部分)は、人の屍体よりとって保存しておいた弁付き肺動脈グラフトで再建する。(黒沢博身著:Ross手術。 医学書院、心臓弁膜症の外科、第3版、2007)』

利点 :
1.自己肺動脈弁グラフトを使用するために、抗凝固療法(人工弁を移植した場合は、弁周囲にできる血栓を予防する為に、血液が固まらないための薬を長期に使用する)を行なう必要がない。
2.最大の利点は小児に用いた自己肺動脈弁グラフトは、小児の身体の成長と共に成長することである。
3.現在、人工弁には16ミリメートル以下の小さな弁はないので、小児に使用出来ない場合があるが、Ross手術は自己肺動脈グラフトを使用するため、小児にも使用出来る。

欠点 :
1.人工弁手術より手術が複雑で、手術侵襲が大きい。
2.欧米では欠損した右流出路には、人の屍体から取り出して保存しておいた弁つき肺脈グラフトの使用が容易であるが、本邦では入手が難しいので、ゴアテックスなどで作成した人工的グラフトを使用する。
3.小児が成長した時には、上記の2、のグラフトの交換手術が必要である。

Dr. Rossを第41回日本胸部外科学会に招聘する

1988年ホテル・ニュウオータニで開催した日本胸部外科学会会長として私は、Dr. Rossに招請講演をお願いした。
演題はAORTIC  HOMOGRAFT  VALVEで講演時間は60分であった。主として1962年から行なっているヒトのドナー心臓弁を用いて移植する方法(この方法は世界最初であるという)。1966年に心臓と肺動脈血管に連続性のない肺動脈欠損症に対して同種大動脈弁グラフトを用いた手術。1967年から行なっているRoss手術などについて講演していただいた。

 

※ 夕食付き(立食)講演会

Dr. Rossに講演をして頂いた夜は学会としての公式行事がなかったので、日本LL社と学会の共催で、 “Ross手術 ”の講演会を開いた。6時半開演で1時間の講演。その後、立食ではあったが、夕食会を開いた。夕食会のスポンサーは日本LL社で、300人以上の会員に招待状を発送した。先ず私の挨拶、次いで日本LL社社長の挨拶の後、Dr. Rossに1時間講演をして頂いた。その後夕食会に移った。立食ではあったが、日本LLの肝いりでホテル・ニュウオオタニの夕食は豪 華な食事であった。Dr. Rossには椅子とテーブル席を用意した。彼の病院に留学した10数人の日本のドクターや彼に質問や挨拶をする人々で、彼の周りは賑やかであった。彼はドクター達に囲まれて楽しそうで、また満足そうであった。

ポルトガルの学会でDr .Rossに会う

1993年ころ、私はポルトガル、リスボンで開かれた、国際心臓血管外科学会に出席した。学会から市街地のホテルまでシャトルバスが運行されていた。ホテルに帰ろうとシャトルバスに乗り込むと、一番後ろの座席にDr. Rossが座っていた。彼は私を見つけると、隣の空いた席に来いと手招きした。その席に座ると彼はRoss手術のことを話し始めた。 “1967年に始めたRoss手術は300例を越した。そこで、集計して学会誌に投稿した。採用されたので近日中にあなたの手元にも届くが,生存者の85%は再手術が必要はなかった。全例抗凝固療法を行なわなかったが、血栓を生じた例は1例も無かった。特に驚いたというか、予期したというか、小児は身体の成長と共に、移植した肺動脈弁グラフトは成長していた。”と話してくれた。私は帰国してから、発表されているJ. Cardiac Sug 6:529,1991を見ると、330例の24年間のfollow upの統計が示され、彼の話してくれた内容と全く同じであった。

この学会誌の発表があってから、Ross手術は世界中で注目されるようになり、日本でもDr. Ross手術に興味を示す人がでてきた。例えば慈恵医大の黒沢博身教授、森田紀代造教授や国立循環器病センターなど日本でも数カ所の施設でRoss手術が行なわれるようになった。

San Antonio ・TEXASのRiver Walk

日本を出発する前に、旅行案内で調べたところによると、『サンアントニオのリバーウオークは、水辺にある散歩道である。水辺沿いにはレストラン、カフェ、ギフトショップなど店舗が立ち並び、休息しながら散歩を楽しむことが出来る。とても風情のある、お洒落な散歩道で、アメリカのベニスに例えられている。
川では船に乗ってクルーズを体験することが出来、朝から夜まで人々で賑わっている。クリスマスシーズンにはクリスマスツリーがおかれイルミネーションが施される為、デートで訪れる人もいるという。』

サンアントニオのリバーウオークでDr. Rossに会う

1999年に第35回STS (Society of Thoracic Surgeons,第35回米国胸部外科学会)がサンアントニオで開かれた。私は慈恵医大の黒沢教授と慈恵の医局員2人、計4人で出席した。
学会の昼食時、学会場近くのリバーウオークを散歩した。レストランや喫茶店ではリバーウオークにせり出して多数のテーブルと椅子でテラス席が設けられていた。
その一郭で友人とお茶を飲んでいるDr. Rossを見かけた。私は彼に挨拶をするとともに、私の連れを紹介した。特に、黒沢教授は近年Ross手術を手掛け、まだ症例数はそれほど多くはないが、成績は極めて良好である旨伝えると、大変喜んでいた。
そこで、Dr. Rossを中心に5人で写真を撮った。

帰国してから、黒沢教授は学会や講演会でRoss手術を講演する時には、決まって5人の写真を最初に示し、“ この方がRoss先生です ”。と紹介した後、講演を始めた。その方が聴衆には親しみ易いと、私は思った。

その2〜3年後のサンヂエゴの学会でDr. Rossにお会いした。その時彼は私に「Dr. Araiが明年もサンヂエゴの学会に来られるようなら、Ross会にお招きしましょう。この会は、私の教室に世界から留学していたドクター数十人が、私を囲む会を開いてくれるのです。日本のドクターも10人くらい参加しますよ。」と温かい招待を受けた。しかし、私は翌年、残念だったが、その学会には参加出来なかった。

Dr. Rossとは50年近くよい友人であったが、会うと新しい話や楽しい話をしていたので、私は次のことをいつも聞き忘れていた。
1.富士山を見ることは出来ましたか?
2.京都のBamboo Forestには行かれましたか?
3.日本の一流の日本旅館には泊まりましたか?