第17話 仁丹 【part2】

【狭心痛に奏功した“仁丹”?!】

 次は、もう2、30年前に読んだ月刊誌の随筆欄の“仁丹”という記事である。思い出ししながら書いてみよう。

 ある有名な日本の産婦人科のA教授がアメリカの学会に招かれて「招請講演」をした後、アメリカの他の都市に移動する飛行機内での出来事である。飛行機に搭乗してから2、30分したころ、1人のスチュアーデス(当時はスチュワーデスと言っていた)が慌ただしく彼のところに近づいて来た。彼はVIPだったので、スチュワーデス達も彼が医師であることを前もって知っていた。彼女は「後ろの席の50代の年齢の女性が、顔面蒼白になり、胸を押さえて“痛い!痛い!”と苦しんでいます.ドクター直ぐ来て下さい」

 教授は「私は産婦人科のドクターなので胸痛のことは全く分からない。それに聴診器も薬も持っていない」と断ったが、彼女は直ぐ来て下さいと許してくれない。そこで、やむなく彼女について後方の席まで行った。乗客の女性は、顔面蒼白で“痛い!痛い!と身悶えして苦しんでいる。教授はまず脈をみた。脈の乱れはない。聴診器を持っていないので、脈をみる以上のことは出来ない。

 どうしようかと考えているうちに、ポッケットに仁丹を持っていることをふと思い出した。何もしないで立っていても仕方がない。患者に与えられるものは仁丹しかない。そこで、患者の手のひらに仁丹を5、6粒載せ、口に入れるように指示した。もちろん、仁丹が狭心痛に効果があるとは、A教授も考えていなかった.まさに窮余の一策であった。

 ところが、10分もしないうちに、乗客の患者は、「痛みは全くなくなりました。有り難うございました」と赤みのさした顔で言った.A教授は5、6分立ったまま様子をみて、もう大丈夫だと判断して自席に戻った。自席に戻るとパーサーやスチュワーデスが次々にお礼の挨拶にやって来た。

 教授はアメリカにいる時も、また日本に帰ってからも、仁丹がどうして狭心痛にきいたのだろう?と疑問に思っていた。いつか、この疑問を解いてみたいと考えていた。

 1年後にA教授の勤めている大学で、東京から来た有名な循環器内科・B教授の公開講座が開かれた。A教授は“どうして仁丹が狭心痛に効いたのだろうか?”という疑問を解決してもらう為に、公開講座に出席した。B教授の講演が終わり、質疑応答の時間になった。2、3人の質問者の後でA教授は手を挙げて、アメリカの飛行機の中で、狭心痛の患者に“仁丹”を投与したところ、著効があった話をした後、“仁丹は狭心痛に効くのでしょうか?”と質問した。

 循環器科のB教授は「3つのことが考えられます.その1つは、有名な日本のドクターが診察してくれたことを患者はスチュワーデスから聞いたので、患者は安心感を持ったでしょう。そのドクターがきれいな銀色の細粒を投与してくれた。“この奇麗な細粒はきっと効く”と患者は思ったでしょう。このような心理的効果があったと思われます。2つ目はプラセボ効果です。これも心理的効果が含まれています。新薬が出来た時、発売前に色も形状も全く同じなプラセボ(偽薬)を作ります。プラセボの中身は乳糖やデンプンなどで、新薬の目的とする疾患には全く効きません。本物の新薬とプラセボを第三者の作った規則に従って、100人と100人の2つのグループに投与します。勿論、患者は貰った薬が本物か偽物か知りません。その臨床試験のデーターを公正に客観的に処理します。この時にプラセボ(偽薬)を飲んだ人のなかの何人かの人に効果がみられのです。これをプラセボ効果というのですが、仁丹を飲んだ患者さんはこのプラセボ効果とも考えられます。3つ目は、普通、狭心痛の患者さんは10分か15分で症状は改善します.20分以上続く場合は心筋梗塞で狭心痛より重い病気です。この患者さんは、何も飲まなくても15分くらいで良くなったと考えられます。結論として“仁丹”は直接、狭心痛には効きません」という答えであった。

 A教授は、1年溜っていた疑問が解消し、すっきりした気分で家路についたという。

 ところで、仁丹は最近も販売されているのだろうか?私はもう25年くらい前に仁丹を嘗めるのをやめてしまった。最近、薬局でも“仁丹”を見たことがない。検索してみると、今でも、年配者を中心に口臭予防の嗜好品として常備し嚼む人は多いが、若者を中心に“仁丹”を知らないという風潮があるとのことである。

 ちなみに、仁丹は桂皮、薄荷脳、甘草、しょうが、香料など16種類の生薬を配合して丸め、銀箔でコーチングした直径1ミリメートル足らずの丸薬である。1900(明治33)年から売り出され、当初、うたい文句として“最良の毒消し”(毒はコレラや梅毒のこと)として売り出され、大正期には“消化と毒消し”、昭和期には“消化を良くし、胃腸を健やかに”として定着したという。