第48話 —Donald Nixon Ross— 【part1】

Dr. Donald Rossが東京女子医大心研に来られたのは、札幌で開かれた第25回日本胸部外科学会で招請講演をされた1972年であったと思う。英国では医師もMr.と呼んでいる。また、彼は英国での最初の心臓移植術施行後、爵位をもらったのでSirの称号で呼ぶ人もいるが、私たちはDr. Rossと呼んでいたので、これから以後もDr. Rossと呼ぶことにする。

山中湖から富士山見学

Dr. Rossが1972年に初めて女子医大心研に来訪された折、彼は富士山が是非見たいというので、心研所長であった榊原仟先生は、“明日は丁度空いているから、山中湖に案内しよう”ということになった。山中湖から見る富士山は周囲にある湖から見るのより、近くて大きくきれいに見える。また、山中湖に映る逆さ富士は絶景だというのが、山中湖を選んだ理由である。

榊原先生は、当時使っていた少し大型の所長車で行くことになった。

東京を出る時の天候は普通の天候であった。まだ、高速道路が発達しない頃だったが、出発が10時頃だったためか、余り混雑せず順調に車は進んだ。山中湖に近づくに連れて雲行きが少しずつ怪しくなってきた。

山中湖に着くと、富士山の高さから下は、見回すかぎり雲で覆われていて、富士山は全く見えなかった。山中湖をゆっくり一周したが、富士山は全く見えない。仕方なくお土産店に寄った。そこには、晴天時の富士山単独と富士山と山中湖に映る逆さ冨士の大きな写真や絵はがきが飾ってあった。

Dr. Rossは“富士山はこんなにも美しい山なのですね。全く見えなくて残念ですが、東京から山中湖に連れて来て下さったことを感謝します。”と言って、絵ハガキを賈っていた。

せっかく、山中湖に連れて来たのに富士山が見えず、私たちも残念で、“明日、大阪に行く途中、新幹線の中からきっと見えますよ”と慰めるよりほかなかった。

暫く立ってから来たDr. Rossの謝礼の手紙には、新幹線の中からも富士山は見えなかったと書いてあった。

2度目の来日

その3、4年後にDr. Rossが来日された。その時の、彼の要望は1)一流の日本旅館に泊まりたい。2)京都でBamboo forestを見たい、ということであった。

1)の一流の日本旅館の件は、医局の財政を担当している医局長に相談した。

医局長は、一流の日本旅館の値段は、一流のホテルのスイート・ルームの2倍はしますよ。医局の財政では無理ですね。と断られた。そこで2流のホテルの畳部屋を2部屋予約した。

2)については、医局にいた数人の医局員に、京都のBamboo forestのことを聞いてみたが彼らは全く知らないという。全員関東地方の出身者だったからかも知れない。現在のように、インターネットで検索すれば、立ちどころに出て来る時代と違っていた。そこで、1)と2)の結論をDr. Rossに話して了解を求めた。

(その、十数年後のことになるが、私が京都に行った時、トロッコ列車に乗る機会があり、その終点近くに、広大なBamboo forestがあった。そのことは後で簡単に触れることにする。)

翌日、私はDr. Rossの道案内のような役割で京都に新幹線で一緒に行った。京都に私は何回か行ったことがあるが、余りに広すぎるのと、神社・仏閣・料亭などなど、余りに多彩なので殆ど知らないと言った方が正解だった。タクシーを捕まえてホテルまで行き、ホテルから、またタクシーで何処かまで行くという程度の道案内である。

新幹線の中でDr. Rossは、“今、私のロンドンの病院に、京都大学のM君が留学している。今日でも明日でもよいから、M君のボスにお会いしたい。”と要望された。そこで、ホテルに着いてから、京都大学に連絡した。丁度、M氏のボスのH助教授が電話に出たので、Dr. Rossが会いたいと言っている旨伝えた。H助教授は誰かと相談の後“夕食を一緒にしたいので、6時半ころホテルに迎えに行くから待っていて下さい。”ということだったので、ホテルで待つことにした。

こじんまりした料亭

M助教授はタクシーで祇園甲部歌舞練場のそばのこじんまりした料亭に案内してくれた。こうゆう料亭は、初めての客は入れてもらえない規約があるらしい。私など一人だったら、断られて座敷に上げてもらうことは出来なかったであろう。

料亭の女将は私たちを2階の座敷に案内し、すぐ、酒席の用意ができ、女将はDr. Rossに日本酒をすすめた。

そのうち、三味線を持った芸者さんと、だらりの帯をしめた舞子さんが入って来た。Dr. Rossは、舞子さんを見るのは初めてらしく、 “ほおー” というような満足した顔であった。食事と踊りが交互に繰り返された。

10時近くなったので、酒席は終わり、 助教授にホテルまで送ってもらった。

Dr.Rossは大変満足した様子であった。私は一流の日本旅館に泊まるだけより料亭でのご馳走と踊りの方が、何倍も楽しかったであろうと推測し、H助教授に感謝した。

その後、Dr. Rossは日本を2度くらい訪問されたが、学会でお会いする程度だった。

Bamboo Forest(竹林の小径・嵐山)

私が慈恵医大を退職して2〜3年経った時、京都で、ある外科学会が開催され、私と家内は学会の招待を受け出席した。学会二日目に、トロッコ列車に乗り、嵐山を散策するというスケジュールがあり、“どなたでもご参加下さい” という添え書きがあった。誰でもとあるので私も参加したいと思い、指定された場所に妻と一緒に行ってみると、参加者は12、3人で全部、学会会員の夫人であった。男性は私一人なので、このまま出席しようか?止めようか?と思ったが、夫人たちの半数の方は胸部外科学会の夫人の会などで私の良く知っている方達だった。その中の2人は女子医大出身で学生時代から知っている方だった。その方たちが一緒に行きましょうと勧めて下さるので意を決して参加した。

保津川と並行して走るトロッコ列車は快適だった。その日は晴天で開けっ放しの窓から入る春の風は心地良かった。遥か下を流れる保津川を下る遊覧船が何隻か見え、絶景であった。

トロッコ列車嵐山駅で降りて少し歩くと、竹の太さ30cmくらい、高さ30mにも及ぶ竹林が広がっている。嵐山の人気スポット渡月橋の北側から嵯峨野に広がる数万本の竹林である。約400m四方に空を覆う高く伸びた竹林が続いている。その竹林を縫うように散歩の為の小径が張り巡らされており、渡月橋と並んで嵐山の人気スポットであるという。平安時代には貴族の別邸になっていた。

“あ、あ、これがDr. Rossの見たいと言っていたBamboo Forestだ ”と気が付いた。もっと早く知っていて、案内してあげることができれば、彼がどんなにか喜んだであろうと思うと残念であった。