第55話 —Francis Fontan教授— 【part4】

再びフォンタン教授を訪問

1981年9月アテネの世界心臓血管外科学会に出席し、学会と観光を楽しんだ後、飛行機でパリーに着き、急行列車に乗り、ボルドーワインとカモの車内食を前回と同様、楽しんだ後、午後九時半ころボルドーに到着した。駅にはフォンタン教授がベンツで自ら迎えてくれた。こんな遅い時間にわざわざ出迎えて下さった教授の友情に感謝した。ホテルに着いてからもらったスケジュールを見ると、
9月14日:1例目の手術は午前7時半の2弁置換から始まり、前回教授と約束しておいた、フォンタン手術は9時から10時、10時から冠状動脈のバイパス手術、13時からボルドー大学の管理者による昼食歓迎会、午後2時から2例の手術。計5例。18時からボルドー大学学長による歓迎レセプション。

Bordeaux大学・学長Tavernierによる歓迎Reception(14日、18時より)

9月15日も7時半から手術開始。フォンタン手術は8時30分から10時。10時からはバイパス手術。13時から心臓病学主任教授による昼食歓迎会。午後1例の手術の後、20時からフォンタン教授の自宅での歓迎夕食会。2日間とも多数の手術が用意され、2日間、昼食、夕食と計4回の歓迎会が開かれた。フォンタン教授が如何に私たちを歓迎してくれたかが分かるおもてなしであった。
病院は、前回私たちが訪問した時から3年後の1979年に開院した Hospital cardiologique du Haut-Levequeと言う250床の心臓専門病院であった。

Fontan手術の対象となる三尖弁閉鎖症とFontan手術についての説明。

ここで、三尖弁閉鎖症とFontan手術について説明するが、かなり複雑なので次の『    』の中のことを理解しておいていただければ、三尖弁閉鎖症とFontan手術の説明は飛ばして、 *フォンタン手術開始 まで進まれて結構です。
『三尖弁閉鎖症は生まれつきのチアノーゼ性心臓疾患の3%に見られ、全ての症例に心房中隔欠損が開いている。このため、心臓内で青い静脈血と赤い動脈血が混じり合い、酸素の少ない赤紫色の混合動脈血が全身を流れるため、頬、口唇、爪などが、ブドーの巨峰のような色をしたチアノーゼになる。動脈血の酸素が少ないため運動量が低下し“駆け足”などの運動は出来ない。

Fontan手術は心臓内で赤い動脈血と青い静脈血が混じり合わないようにする手術である。この手術により、青い静脈血は肺に行き、赤い動脈血は全身を流れるようになり、ほぼ正常の心臓の流れになる。このため運動量は増加し、軽い“駆け足”は出来るようになる。』

* 三尖弁閉鎖症(図 1)
ここでFontan手術の対象になる三尖弁閉鎖症について説明しよう。

“正常の心臓の血液の循環”から説明しよう。上半身からの青い静脈血は上大静脈に集り、下半身の青い静脈血は下大静脈に集まって、共に右心房に入る。右心房の静脈血は三尖弁を通って右心室に入り、右心室から肺動脈に博出されて肺全体の毛細血管に流れ、そこで青い静脈血は二酸化炭素を放出し酸素を取り入れて赤い動脈血となり、左心房に入り、僧帽弁を通って左心室に入り、左心室から大動脈に博出され全身を循環する。

“三尖弁閉鎖症”は右心房と右心室の間にある三尖弁が生まれつき閉鎖している先天性心奇形で、先天性チアノーゼ性心疾患の約3%に見られる。大動脈と肺動脈の位置関係(大血管転移を伴う三尖弁閉鎖症と伴わない三尖弁閉鎖症)や肺動脈が狭窄或は閉鎖しているか否か、などによって数種類に分類されるが、全て三尖弁が閉鎖しているため、右心房に入った青い静脈血は心房中隔欠損を通って左心房に流れ込み、肺から流れ込む赤い動脈血と混合して、ブドウの巨峰のごとく赤紫色の血液(チアノーゼ)となり、全身に博出される。酸素の少ない血液のため、全身チアノーゼとなり、運動量が少なくなり駆け足は出来ない。
この三尖弁閉鎖症の血行動態を正常の血行動態に近づけようとしたのが、Fontan手術である。

Fontan手術

1971年Thorax 26巻240〜248ページに発表されたFontanの論文から引用。

図 2:フォンタン手術の説明図(図の点々点で示された血管は肺動脈を示す。ブルーはヒト生体弁を示す。)

(1)上大静脈と右肺動脈を吻合する。(Glenn手術ともいう)
(2)下大静脈を切断し、ヒトの保存肺動脈弁付きグラフトを縫着する。弁の方向は下大静脈血は右心房に流入するが、右心房から下大静脈には逆流しないように縫着する。
(3)心房中隔を閉鎖する。
(4)右心耳と右肺動脈の切断端をヒトの保存大動脈弁つきグラフト(ヒト生体弁)で、端端吻合する。右心房血は肺動脈には流れるが、肺動脈から右心房に逆流しないような方向に弁を端端吻合する。
(5)主肺動脈を結紮する。
図2.(1)、(2)・・・の番号は上記の説明文と同じ。上記の説明文を読みながら、図をご覧下さい。

フォンタン手術の利点

この手術を行なうと、
(1)青い上大静脈血は右肺動脈に流れて、赤い動脈血となって左心房に流入する。
(2)青い下大静脈血は弁付きグラフトを通って右心房に流入する。
(3)心房中隔を閉鎖する。
(4)右心耳と右肺動脈の切断端を弁付きグラフトで端端吻合し、
(5)主肺動脈を結紮すると、右心房に流入した青い静脈血は全て左肺動脈に流入し肺で酸素化され左心房に流れ込む。この手術で青い静脈血と赤い動脈血と混ざらなくなり、チアノーゼは解消し、運動量は増加する。

※ フォンタン手術開始

午前9時ころ教授執刀でフォンタン手術は始められた。私は教授の真後ろに、高い見学台を用意してもらい、そこから手術を見学した。最高の位置で、手に取るように教授の切開、運針(針の動き)などを見ることが出来た。
フォンタン手術にはいくつかの変法が開発されているが、この日は1971年に発表されたオリジナルの方法で手術は行なわれた。

先ず、(1)の上大静脈と右肺動脈の吻合は、手慣れた感じでスムーズに終った。
次に(2)の下大静脈を切断して円形のヒト生体弁を縫合する時アクシデントが起こった。全容を説明すると長過ぎるので、要約して簡単に説明する。切断した下大静脈の抹消側は円形であるべきなのに、いくつかの要因で巾着袋の紐を締めた時のようにシワシワになり、その上、生体弁と縫合する下大静脈の切断端は、極端に短くしか残っていなかった。このシワシワで短い切断端の下大静脈と円形の生体弁を縫合するのは至難の業であった。彼の緊張した様子が見ていて私にも伝わって来た。彼は注意深く、普通10分で終る縫合を3〜40分かけて、ようやく縫合し終わり、なんとか危機を乗り越えた。

教授もほっとした様子であった。見ている私たちもほっとした。その後は順調に(3)、(4)、(5)の手術は進み、手術は大幅に予定をオーバーし2時間以上掛かって成功裏に終了した。

手術中のフォンタン教授(中央)。その後ろは見学中の筆者。

タバコをすっているのは新井教授だ!?。

教授は手を下ろすと(手術が終了し、ゴム手袋を脱ぎ、手を水道水で洗うことを私たちは“手を下ろす”という)彼は教授室に私たち6人を招きコーヒーを入れてくれた。私たちが彼の見事な危機の乗り越え方を賞賛すると、彼は「あなた方は、大変興味があったでしょうが、私はヒヤヒヤな手術でした。」と言って、下大静脈をシワシワにしない手術のコツを話してくれた。
話し終るとホットしたのであろうか? そばにあったタバコケースから煙草を取り出して火をつけて吸おうとした。その時、団員の1人が全体像を撮ろうとカメラを構えた。彼は慌てて手で制止し、吸いかけの煙草を隣にいた私に手渡した。彼はカメラマンに「もう大丈夫!写真を撮っていいですよ。煙草を吸っているのは、私ではなくProf. Araiだから!」と言ったので全員爆笑となった。
フランスでも心臓外科医が煙草を吸うのは“非難される”ことなのだろうか?!

フォンタン教授室でのコーヒーブレイク。中央:フォンタン教授。向かって右は筆者。筆者は彼から渡された煙草を持っている。彼が急に吸いかけのタバコを私に渡したのがおかしく、全員爆笑した後なので、全員、にこやかな顔をしている。(上記の本文参照)

翌朝ICUに行ってみると、昨日フォンタン手術を受けた子供の気管チューブは抜管され、意識も明瞭で、昨日手術されたとは思えないほど元気で、チアノーゼはなくなっていた。
翌日のフォンタン手術をはじめ、全ての手術は順調であった。